医療判例解説 第23号参考判決 東京海上ビル診療所・健診事件
定期健康診断でレントゲン写真を読影した医師が異常なしと診断したことに過失はないとした事例

【判決要旨】
 損害保険会社に勤務する33歳女子社員Aが、系列の診療所で実施された定期健康診断で、昭和60年から62年まで3年連続して胸部レントゲン写真を撮影され、いずれも異常なしとの診断を受けるが、胸痛や息苦しさに加えて血痰の症状が見られた為にW大学病院を受診したところ、ステージVaに相当する肺癌(肺腺癌)とわかり、化学療法等を受けるも、昭和62年11月に死亡した事案につき、
定期健康診断は、一定の病気の発見を目的とする検診や何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査とは異なり、企業等に所属する多数の対象者に対して異常の有無を確認するために実施されるものであり、大量のレントゲン写真を短時間に読影することから考えると、異常を識別するために医師に課される注意義務の程度には限界があり、本件レントゲン写真を読影した医師がAの肺癌の存在を見落とし、異常なしとしたことに過失を認めることはできないとした。(なお、結果として、二重読影を行った別の読影医についても、過失は認めることができないとした。)

最高裁 平成15年7月13日判決
事件番号 平成10年(オ)第1158号 損害賠償請求事件
(原審) 東京高裁 平成10年 2月26日判決
     事件番号 平成7年(ネ)第5529号 損害賠償請求控訴事件
(原々審) 東京地裁 平成7年11月30日判決
      事件番号 平成2年(ワ)第10439号
<出典> (原審) 判例タイムズ1016号192頁
     (原々審)判例時報1568号70頁 
          判例タイムズ911号200頁

判    決
当事者の表示  別紙当事者目録記載の通り
上記当事者間の東京高等裁判所平成7年(ネ)第5529号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成10年2月26日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。
よって当裁判所は、次のとおり判決する。

主   文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

理   由
上告代理人石川寛俊の上告理由第一点及び第三点について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。
論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原審において主張、判断を経ていない事項につき原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
同第二点について原審の適法に確定した事実関係の下において、上告人らの慰謝料請求を認めなかった原審の判断は、結論において是認することができ、原判決に所論の違法はない。
論旨は、原審の認定に沿わない事実に基づいて原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
上告人らの上告理由について原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。
論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、上告代理人石川寛俊の上告理由第一点につき、裁判官滝井繁男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

【裁判官滝井繁男の反対意見は、次のとおりである。】
原判決は、医師の注意義務の基準となるべきものは、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であって、定期健康診断におけるレントゲン読影医の注意義務の水準としては、これを行う一般臨床医の医療水準をもって判断せざるを得ないとした上、本件レントゲン写真が定期健康診断において撮影された他の数百枚のレントゲン写真と同一機会に、当該被験者に関する何らの予備知識も無く読影された場合には、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば異常を発見できない可能性の方が高いことが認められるとして、非上告人乙山にレントゲン写真読影上の過失はないとした。
しかしながら、ある医療機関における医療水準は、それぞれの医療機関の性格や所在地域の医療環境等諸般の事情を考慮し、個別相対的に決せられるべきものであって、個々の医療機関の特性を無視して一律に決せられるべきものではない(最高裁判所平成4年(オ)第200号同7年6月9日第二小法廷判決・民集49巻6号1499頁)。
また、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が上記医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない(最高裁判所平成4年(オ)第251号同8年1月23日第三小法廷判決・民集50巻1号1頁)。
定期健康診断は、その目的が多数の者を対象にして異常の有無を確認するために行われるものであり、レントゲン写真の読影が大量のものを短期間に行われるものであるとしても、そのことによって医師に求められる注意義務の判断基準についての考え方が上記と異なるものではなく、当該医療機関が置かれている具体的な検査環境を前提として、合理的に期待される医療水準はどのようなものであるべきかという観点から決せられるべきものであって、平均的に行われているものによって一律に決せられるべきものではない。
現実に行われている定期健康診断の内容も、用いられている設備や携わる医師等の知識経験は一様ではなく、それぞれの医療機関に期待されているものも自ずと異なるのであって、受診者もそのような事情、すなわち給付の内容を前提として検査機関を選択し、その検査結果に信頼をおいているのである。
したがって、定期健康診断における過失の有無も、一般的に臨床医間でどのように行われていたかではなく、当該医療機関において合理的に期待される医療水準に照らし、現実に行われた医療行為がそれに即したものであったかどうか、本件では、昭和61年に被上告会社東京本店において行われていた定期健康診断におけるレントゲン検診が、どのような設備の下で撮影されたレントゲンフィルムを、どのような研修を受け、経験を有する医師によって、どのような体制の下で読影すべきものと合理的に期待されていたか、そして、実際に行われた検査がそれに即したものであったか否かを確定した上で判断されなければならないのである。
しかるに、原判決は、被上告会社の胸部レントゲン写真がオデルカ100mmミラ―方式による間接撮影で、医師2名による同時読影が行われていたことを認定したのみで、当時の一般臨床医の医療水準なるものを指定し、それによってレントゲンの読影についての過失の有無を判断すべきものとし、そのことによって注意義務の内容が異なるものではないというのである。
しかしながら、被上告会社が実施していた健康診断が、定期健康診断におけるレントゲン読影の重要性を考えて、呼吸器の専門医など豊富な経験を有する医師を常駐させて読影に当たらせることとし、被上告会社がそのことを標榜していたとすれば、そのような読影条件を抜きにして当該医師の過失の有無を判断することはできないはずである。
なぜならば、注意義務として医師に求められる規範としての医療水準は、それぞれの医療機関の給付能力への合理的期待によって定まるのであって、一般的に定められるべきものではなく、このことは、定期健康診断においても基本的に異なるものではないからである。
したがって、原審としては、被上告会社における健康診断が、どのような水準のものとして実施することを予定されていたかを確定し、その水準をみたすものであったかどうかを審理判断すべきであったのに、一般臨床医の医療水準に照らして過失の有無を判断したのは、審理不尽の結果、法令の適用を誤ったものといわざるを得ず、この点を指摘する論旨は理由があるというべきである。
そうすると、上記の点について、更に審理させるため、原判決を破棄して原審に差し戻すのが相当である。

最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 梶谷 玄
裁判官 福田 博
裁判官 北川 弘治
裁判官 亀山 継夫
裁判官 滝井 繁男

[参考・2審判決]

判   決
控訴人          甲野春江(ほか1名)
右両名訴訟代理人弁護士  森谷和馬
被控訴人         東京海上火災保険株式会社(ほか1名)
被控訴人         医療法人財団海上ビル診療所(ほか1名)
被控訴人         乙山一郎(ほか2名)
右五名訴訟代理人弁護士  田中 登
同            高崎尚志
同            柏木秀夫
同            野邊寛太郎

主   文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人乙山一郎及び同東京海上火災保険株式会社は、連帯して控訴人ら各自に対し、金4600万円及びこれに対する昭和62年11月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人丙川二郎、同丁谷三郎、同医療法人財団海上ビル診療所及び同東京海上火災保険株式会社は、連帯して控訴人ら各自に対し、金287万円及びこれに対する昭和62年11月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。との判決並びに2、3項につき仮執行宣言
二 被控訴人ら
主文と同旨の判決
第二 事案の概要
本件の事案の概要は、以下のとおり当審における当事者双方の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する(略語についても、以下に注記するほかは、原判決と同様とする。)。
一 当審における控訴人らの主張
1 被控訴人乙山及びもう一人の読影医の責任について
(一) 原判決は、花子の昭和60年9月のレントゲン写真には異常陰影は認められないとし、昭和61年9月のレントゲン写真には、異常陰影が存在することを肯定しながら、原審における鑑定の結果(以下「林鑑定」という。)をそのまま引用して、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いとして、被控訴人乙山の過失は認められない旨を判示する。
しかしながら、原判決の右認定判断が誤りであることは、以下に詳述するとおり、当審における証拠調べの結果により一層明らかになったものである。
(二) 定期健康診断の位置づけとその体制について
定期健康診断は、病気の早期発見を目的とするものである。なお、花子が罹患していた肺癌は末梢型で、腺癌と呼ばれる種類の肺癌であり、胸部レントゲン写真によって早期発見が期待されるタイプに属するものである。
これとは別に、老人保健法に基づく肺癌検診があるが、肺癌検診の対象者が喫煙者などのハイリスクグループであることが異なるだけであり、それ以外の者については、胸部レントゲン写真1枚を撮り、これを次々と読影していく点は異ならない。したがって、肺癌検診と対比して、定期健康診断では簡便なレントゲン検査しかされないと考えるのは誤解である。
さらに、本件において、昭和61年までのレントゲン検査は間接撮影で行われ、昭和62年は直接撮影で行われたが、間接撮影と直接撮影は異常を異常として検出する能力については異なるところはない。その上、昭和61年のレントゲン写真の読影は被控訴人乙山ともう1人の読影医による二重読影が行われており、異常陰影を指摘することは1人で読影するよりも容易であった。また、当時各年に撮影したレントゲンフィルムが1枚ずつ切り離され各人毎のファイルに保管されていたから、これを比較読影に供することは容易であり、一般の肺癌検診等ではロールフィルムとして撮影、保管されており、各人毎に仕訳されているわけではないことと対比して、むしろ異常の発見が容易であり、それを期待できる体制にあったものである。
なお、原判決は、定期健康診断において医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界がある旨を判示するが、このような考え方は、以上の点からしても、また社会常識とも乖離するものであり、失当である。
(三) 定期健康診断担当医の医療水準について
定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、原判決のように一般的な臨床医ではなく、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきである。たまたま個別の患者のレントゲン写真を読影するような場合は格別、定期健康診断として大量に撮影された胸部レントゲン写真の全体に目を通し、各写真について異常の有無を判定する専門的な業務に従事するからには、当該医師は、胸部レントゲン写真読影の専門家であるべきである。したがって、原判決が、一般臨床医という過失判断の基準を採用したのは失当である。
特に、本件においては、被控訴人乙山は長らく労働医学研究会に在籍する傍ら、昭和32年から平成3年までの間、被控訴人東京海上の嘱託医を務め、主として胸部レントゲン写真の読影に従事していたものであるから、胸部レントゲン写真読影の専門家として、一般臨床医とは異なる高度の注意義務を課せられていたというべきである。また、被控訴人乙山とともに読影に当たったもう1人の医師も、日本肺癌学会の評議員を務めた呼吸器特に肺癌の専門家であるから、胸部レントゲン写真の読影について一般臨床医とは異なり、十分な知識経験を有していたと考えられ、やはり、高度の注意義務を課せられていたというべきである。その上、被控訴人東京海上はこのような専門家を擁していることを社員に積極的に宣伝していたものであるから、一旦当該医師に過失があった場合に、専門家ではなく一般臨床医の水準で判断すべきだというのは許されない。
(四) 昭和60年9月のレントゲン写真について
原判決は、右レントゲン写真には異常陰影は認められないと判示するが、中川伸生医師及び森雅樹医師の各意見では、要精査とすべき正常ではない陰影の存在が指摘されているのであって、原判決は、これらの証拠を無視するものである。
(五) 昭和61年9月のレントゲン写真(以下、この項においては「本件レントゲン写真」という。)について
原判決は、本件レントゲン写真に異常陰影が存在することは肯定しながら、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があり、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識もなく読影された場合、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いと判示する。
しかしながら、原判決が依拠した林鑑定には後記(六)のとおりの疑問点があり、その結論の妥当性は疑わしい。かえって、読影の専門家であれば、本件レントゲン写真につき十分に異常の指摘が可能であったことは、以下の各医師の意見等から明らかである。
すなわち、森雅樹医師(札幌厚生病院呼吸器科主任医長、以下「森医師」という。)は、当審証言及びその作成の意見書において、異常影の位置、大きさから、異常陰影であることは明らかであり、1人で読影した場合1割か2割、経験の浅い医師で2割位の見落としはあるかもしれないが、2人の医師で読影した場合にはかなり見落としの確率は少なくなるだろうと述べている。
また、中川伸生医師(アメリカ、ルイジアナ州立大学医療センター放射線部門助教授、以下「中川医師」という。)は、専門の医師であれば見落とすはずのない明らかな異常所見である旨の意見であり、中島康雄医師(聖マリアンナ医科大学放射線医学教室助教授・同大学横浜市西部病院画像診断部副部長、以下「中島医師」という。)も、胸部X線診断に携わっている医師であれば高い確率で病変を指摘することが可能であるとの意見(甲第六二号証)である。
次に、横山正義医師(東京女子医大呼吸器外科教授、以下「横山医師」という。)は、「この1枚のみで要注意、精査、前年と比較すれば進行あり」、「このフィルムの異常を指摘できなければ専門医とはいえない」との意見を述べているし、森山紀之医師(国立がんセンター東病院放射線部部長、以下「森山医師」という。)も、見落としの可能性について、10回のうち1回落ちないかもしれない旨の意見を述べている。
さらに、一般内科医である平野敏夫医師でさえも、明らかに異常な腫瘤影であり、肺癌を疑って直接撮影、CTスキャンなどの精密検査を行うべきであるとの意見を述べている。
(六) 林鑑定書の問題点について
まず、林鑑定を行った林泉医師(以下「林医師」という。)は、癌研究会附属病院に所属する医師であるが、林鑑定の当時、被控訴人東京海上の会長は癌研究会の評議員となっており、被控訴人東京海上が癌研究会に大きな発言力を有していたことは、考慮されるべきである。また、林鑑定の底を流れるものは医者の仲間内に対する擁護であるとの指摘もある。
林鑑定は、本件レントゲン写真について、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があり、当時の一般臨床医の医療水準を前提とすれば、異常を発見できない可能性の方が高いと結論づけているが、その根拠は薄弱である。
まず、臓器の背景については、林鑑定の挙げる根拠のうち、呼気不足の場合や、肺動脈・気管支などの弛み及び中肺葉の含気不足がある場合は本件に当てはまらない上、森医師の意見によれば、臓器の背景が異常陰影の発見を困難とする理由とはなりえないとされている。
また、林鑑定は、間接撮影フィルムの精度を問題としているが、本件に使用された100oフィルムであれば、直接撮影フィルムと同程度の解像力があるとされている点を看過するものである。
さらに、林鑑定は、集団検診における間接フィルムによる肺癌診断の精度と特定の問題を取り上げ、資料2の論文「大阪における肺癌検診の感度と特異度」をもって、異常陰影の指摘が困難であることの理由の1つとしているが、右論文によっても、花子のような腺癌についての有病正診率は86.4%と極めて高いのであって、異常の指摘が困難とする根拠とはならない。
そもそも、林鑑定は、本件レントゲン写真について、間接フィルム読影に熟練したものでも異常なしとする可能性があるとするが、その確率がどの程度であるかについては触れておらず、一般臨床医であれば、異常の指摘が困難であるというにすぎない。その上、林医師も、本件レントゲン写真を読影した被控訴人乙山ともう1人の医師が間接フィルム読影に熟練した専門家であるとしているから、この専門家2名による二重読影がされた本件において、異常の指摘が困難であったとの結論が妥当しないことは明白である。
(七) 徳田医師の意見について
徳田均医師(以下「徳田医師」という。)の当審証言及びその作成の意見書は被控訴人らの主張に沿う内容となっているが、徳田医師のこれらの意見に信用性がないことは以下のとおりである。
まず、徳田医師は、社会保険中央総合病院に勤務する傍ら、数年前から被控訴人海上ビル診療所で月2回、胸部レントゲン写真の二重読影を行っており、被控訴人らと密接な利害関係を有する医師であって、公正・中立な第三者とはいい難い。
徳田医師は、集団検診について、肺癌等の発生率という疫学的知識も念頭において精密検査に回すかどうかを判断すべきであり、本件では30歳前後の若い女性であることは容易に想定され、この年代の肺癌の存在頻度は10万人に3人以下であるから、要精検とした場合に空振りに終わる可能性の方がはるかに高いことを考慮するべきであるとする。しかしながら、このような考え方は癌の見落としを容認することにつながり、病気の早期発見という健診の意味が失われる結果となる。また、徳田医師は、異常がないにもかかわらず、異常と判定した場合の、X線による被曝の危険性や患者が要らざる不安感を抱くというマイナスを指摘するが、異常があるにもかかわらず、異常なしと判定された場合、患者にとって手遅れ等の重大な不利益をもたらす結果となることからすれば、前記のような患者の不利益を強調するのは正しくない。まして、本件では、前年との比較読影という方法もあったのである。
徳田医師は、森医師の意見について、これが妥当であることを概ね認めながら、本件レントゲン写真上の異常陰影につき、森医師が、中間肺動脈幹の濃度とその下流に位置する異常影とを比較して、異常影の濃度は血管影の重なりのみでは説明不可能であるとしている点につき、血管影の重なりが中間肺動脈幹の濃度より高くなる例を示して誤りであると批判するが、右の例は中間肺動脈幹の上流と下流との2点を比較するものにすぎないから、徳田医師の右批判は森意見を誤解したものといわざるをえないし、徳田医師が血管の重なりの例として示した図は現実には存在しないものである。
また、本件レントゲン写真上の異常陰影は、肺癌を示すサインの1つである境界不鮮明の浸潤影というべきであるが、徳田医師は、当審証言において、一旦はこれを否定し、その後これを認めながら、昭和61年当時には境界が不鮮明な陰影を癌と疑うような知見は一般化していなかったと供述しているが、当時の文献等からしても、右供述は虚偽であることは明らかである。
(8) 被控訴人ら提出の書証の信用性について
乙第40号証は、西元慶治医師(以下「西元医師」という。)作成の意見書であるが、西元医師は被控訴人東京海上の子会社である東京海上メディカルサービス株式会社に所属し、被控訴人東京海上グループの一員たる医療法人鶴亀会新宿海上ビル診療所の理事長であって、被控訴人東京海上と密接な利害関係を有する者であるから、公正中立な立場で作成された意見書とはいい難い。
その内容をみても、[1]実験に使用した合計283枚のフィルムがどのようなものか明らかでなく、花子のレントゲン写真が混入されていたかどうかも確認できないこと、[2]読影に当たった10名の医師の所属機関が明らかでないこと、[3]呼吸器科の専門医10名中2名しか本件レントゲン写真の異常を指摘しなかったと報告されているが、乙第41号証では、より経験も浅い一般内科医10名中2名又は4名が異常を指摘したとされており、乙第40号証の結果には疑問があること、[4]合計283枚のフィルム中に真の有病者のフィルムが何枚混入されていたか不明であり、その読影の結果としての有病正診率と無病正診率が明らかではなく、この実験そのものが、専門医として集団検診に携わった場合に当然期待されるべき医療水準に達しているかどうかを判定することができないこと、[5]前記(五)の各医師の意見に照らして、10名中2名しか異常を指摘できなかったというのは不可解であり、この報告の信憑性に疑問があることなどから、信用性が認められない。
乙第41号証は、小川聡医師(以下「小川医師」という。)作成の意見書であるが、結語として、A群とB群の両法に混入された本件レントゲン写真の異常をチェックした医師でも、異なる解釈をしている医師もあり、B群に混入されたもののみを指摘した呼吸器専門医のうち2名は「肺血管の陰影であろうが、念のため再検査」との所見であることから、厳密にはB群のものについて腫瘤性病変を第一に疑っているのは3名にまで低下すると述べているが、レントゲン写真読影では正常と判定したか否かが重要なのであって、読影者が想定した病名にまで立ち入る意味はない。また、A群とB群という2つのフィルム群を読影させる実験を行っているが、これは一種のダブルチェックと見ることができるところ、2回のうちどちらかでも異常を指摘したのは一般内科医において10回中5回、呼吸器専門医では10回中7回であるから、これによれば、2人の呼吸器専門医が読影していれば、高い確率で異常を指摘することができたことを示すものといえよう。
(9) もう1人の読影医の過失について
本件レントゲン写真は、被控訴人乙山ともう1人の医師によって二重読影されたものであるが、このもう1人の医師も呼吸器科が専門であり、かつ、肺癌の専門医であって、日本肺癌学会の評議員であったから、同医師についても、胸部レントゲン写真の読影に関しては最も高度の注意義務が課せられてしかるべきである。したがって、本件レントゲン写真の異常陰影を見落としたことは被控訴人乙山同様に許されないというべきであり、被控訴人東京海上も使用者責任を免れない。
原判決はこの点についての判断を遺脱している。
2 被控訴人丙川の責任について
(一) 因果関係について
原判決は、被控訴人丙川につき過失を認めながら、この過失と花子の延命利益の喪失との間に相当因果関係があるとは認められないと判示するが、誤りである。
すなわち、花子は昭和62年6月の時点で、肺癌の病期ステージVaであったが、原判決が、同月ないし翌月の時点で花子の肺癌がリンパ節に転移していなかったとは断定できないとする点は疑問である。花子は同年9月に東京女子医大病院で種々の検査を受けたが、いずれの検査でも癌の転移は認められていないからである。
そして、リンパ節転移がなければ、肺癌の病期ステージVaの患者であっても、手術が可能であれば5年生存率が30%であり、手術を受けられない場合でも1年以上の生存が期待できたのである。
したがって、被控訴人丙川の過失がなければ、花子は少なくとも半年程度の延命は可能であったと認めるべきである。
(二) 被控訴人丙川の義務違反自体に基づく責任について
原判決は、この点についての控訴人らの主張を認めなかった。
しかし、患者は、資格のある医師に診療を依頼した以上、当該医師が通常の医療水準に即した診療を行うものと期待し、信頼しているのであり、このような期待は法的保護に値する。したがって、医師の側がこのような患者の信頼ないし期待に背き、重大な過失を犯したときは、そうした治療機会の喪失自体が患者に精神的苦痛をもたらす独立の損害であり、医師に対して慰謝料支払義務を負わせる根拠となると考える。あるいは、また、患者のこのような期待に反し、医師がその任務を懈怠した場合には、このような任務懈怠自体が患者に重大な精神的苦痛を与え、医師に慰謝料の支払義務を生じさせるとも考えられる。
そして、原判決も認めるように、被控訴人丙川の過失は、およそ医師であれば見落とすはずのないほどに明白なレントゲン写真上の異常を見つけられず、あるいはカルテの記載や本人からの問診結果にもかかわらず、肺癌を含む深刻な呼吸器疾患に思い至らず、レントゲン写真による確認を全くしなかったという重大なものであり、花子にとっては、このような被控訴人丙川の重大な過失によって、肺癌を見落とされたという事実自体が大きな精神的苦痛であったといえるから、こうした苦痛自体に対しての慰謝料が認められるべきである。
3 被控訴人丁谷の責任について
原判決は、林鑑定に基づき、昭和62年7月27日の時点で、被控訴人丙川の記載したカルテ及び花子の訴えから、直ちに肺癌を疑うことは困難であったといえ、その際、それまでの花子のレントゲン写真を取り出して見るか、又は新たにレントゲン写真を撮り直すべきであったとまでいうことはできないと判示して、被控訴人丁谷の過失を認めなかった。
しかしながら、林医師は、原審において、同日の時点で、全く普通の内科医が被控訴人丙川の記載したカルテだけを見た場合でも、糖尿病に伴う感染症があり、その治療をしたがあまり良くなっていないようであるから、抗菌剤を投与しようと考えるが、更にその症状から、本当に糖尿病に伴う感染症だけでよいのかなともう一歩踏み込んで、それまでのレントゲン写真を取り出して確認したり、新たにレントゲン写真を撮り直すなどするであろうと証言しているのであって、原判決の右認定判断は右証言をも無視するものである。
なお、右時点の花子の状態は、その僅か8日後の同年8月4日に日大病院を受診し、控訴人ら家族は花子が重篤な病気であると告げられた程であって、被控訴人丁谷に法的責任がないというのは社会常識としても不合理かつ不可解である。
4 被控訴人東京海上の責任について
(一) 原判決は、控訴人らの被控訴人東京海上についての安全配慮義務違反の主張について、一般の企業において、その従業員に対する定期健康診断の実施は、労働契約ないし雇用契約関係の付随義務である安全配慮義務の履行の一環として位置づけられるものであるとしても、信義則上、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行いうる医療機関に委嘱すれば足りるとして、本件においては、花子に対する安全配慮義務違反があったとは認められないと判示する。
(二) しかしながら、原判決の右後半の判示は、安全配慮義務についての最高裁判決の趣旨に反するもので誤りである。
すなわち、最高裁判決は、安全配慮義務の範囲と程度について、安全配慮義務は業務遂行のため支配管理する人的及び物的環境から生じうる危険の防止義務であり、また、元請企業と下請労働者との間に事実上の使用従属の労働関係が存在する場合に、雇用関係ないしこれに準ずる法律関係があり、特別な社会的接触の関係に入った場合、信義則上、安全配慮義務を負うとしているから、一般の企業において、定期健康診断を実施する場合、その実施する機関・担当者(医療従事者など)が、その企業の業務遂行のため支配管理する人的及び物的環境として位置づけられるものであって、定期健康診断の実施によって、企業の社員の生命・身体の安全が害される危険が生じうる可能性がある場合、その企業は、その危険を防止する義務があり、特にその企業と定期健康診断を実施する機関・担当者との間に事実上の使用従属の労働関係が存する場合で、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係があり、特別な社会的接触の関係に入った場合、信義則上、安全配慮義務を負うと解するのが相当である。
そして、本件において、花子は、昭和60年及び昭和61年に、被控訴人東京海上の本店診療所において診断を受け、昭和62年に被控訴人海上ビル診療所で診断を受けたものであるが、本店診療所は、被控訴人東京海上の組織の一部として、その社員の生命・健康の安全・維持に務めており、本店診療所の医師・看護婦らは被控訴人東京海上から給与の支払を受けていたものであるから、被控訴人東京海上と定期健康診断を実施する本店診療所・その医療従事者との間には、事実上の使用従属の労働関係が存在するということができるし、被控訴人海上ビル診療所も実質的には被控訴人東京海上の組織の一部として位置づけられ、その医療従事者と被控訴人東京海上との間には、同様に事実上の使用従属の労働関係が存在するといえるから、被控訴人東京海上は信義則上、安全配慮義務を負うと解するのが相当である。
(三) 仮に、原判決の安全配慮義務に関する一般論が正しいとしても、本件において、直ちに被控訴人東京海上には安全配慮義務違反がないとはいえない。
すなわち、前述のとおり、昭和61年の定期健康診断においては、被控訴人乙山は、呼吸器の専門医として、レントゲン読影の際通常要求される注意義務を十分に果たすことなく、レントゲン写真の異常陰影を見落としたのであるし、昭和62年の定期健康診断においては、被控訴人丙川が、レントゲン読影の際通常要求される注意義務を十分に果たすことなく、レントゲン写真の異常陰影を見落としたのであるし、さらに、被控訴人丁谷が、レントゲン写真の見直しをしなかったことも、定期健康診断に従事する医師として通常要求される注意義務を十分に果たすことがなかったのであるから、いずれも一般医療水準を下回る診断をしたことは明白である。
被控訴人東京海上は、各科の専門医をそろえ、相当な設備を用意して定期健康診断を実施する以上、当時の医療水準を十分遵守した診断が行われなければならず、もし当時の医療水準を下回る診断が行われていて、それによって医療事故が発生した場合、医師の過失が推定されるというべきである。
したがって、被控訴人東京海上には、花子に対する安全配慮義務違反があったというべきである。
二 当審における被控訴人らの主張
控訴人らの主張はいずれも争う。
1 被控訴人乙山及び他の読影医の責任について
(一) 定期健康診断の位置づけ等について
定期健康診断は、健康な者を含む多数の者を対象として、異常の有無を確認するために行われるものであり、一定の疾患の発見を目的とする検診や、何らかの疾患があると推認される患者について具体的な病変の発見を目的とする精密検査とは目的が異なるから、それにかけうるコストも異なり、そこで要求される注意義務の水準もおのずから差異がある。控訴人らの主張は定期健康診断に過重な負担を負わせるもので甘受することができない。
また、定期健康診断と肺癌検診とは、レントゲン写真の読影自体としては同じ作業であっても、肺癌という特定の疾患のための検診と、特に限定のない定期健康診断では、比較読影や精密検査を要するか否かの判断は当然異なるものである。
(二) 定期健康診断担当医の医療水準について
定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきであるとの控訴人らの主張は、一般の企業などにおける健康な者を含む多数の者に対して異常の有無を確認するために短時間で行う定期健康診断と、癌センター、癌研、大学病院などにおける癌の検診や、一定の疾患の発見を目的とする検診、何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査などとを混同する議論である。
レントゲン写真の読影については、読影医という公的資格や組織的な研鑽制度はなく、一般の内科医らが行っているケースが多いし、昭和61年当時は、老人保健法に基づく肺癌検診も実施されておらず、小型の肺癌を早期に発見しようとする方法論もなかったのが実情である。
多数の受診者を対象とする定期健康診断においては、多数のレントゲン写真を流れ作業的に読影するのが通常であり、1枚の写真にかけうる時間にも制約があるし、撮影条件に問題があっても一般には撮り直しができない。レントゲン写真の読影は、臨床検査のように正常値が数値で示されているわけではなく、正常像とされるものにも様々なバリエーションがあり、異常像との境界を設定することは極めて困難である。しかも、読影医は問診もできず、年齢、病歴等の受診者に対する参考資料もない状態で、当該レントゲン写真の読影のみで正常か異常かを判断しなければならない。
定期健康診断において、治療を要するあらゆる病変を見落とさないようにしようとすることは、一見望ましく聞こえるが、その実際は多大の費用をかけながら、それに見合う効果は上がらず、かえって逆効果になるおそれがある。
定期健康診断は、日本全国の事業所、学校、地域で実施されているが、呼吸器専門医の数には限りがあり、右のような多数の定期健康診断すべてに関与する余裕はなく、現実に定期健康診断を支えているのは内科の一般臨床医である。したがって、一般臨床医を基準として注意義務を検討することは定期健康診断の実態に即するものとして極めて妥当なものと評価されるべきである。
また、控訴人らは、被控訴人乙山やもう1人の読影医がレントゲン写真読影の専門家であるから、一般臨床医と異なる高度の注意義務を課すべきであると主張するが、これは、行為者の能力が通常人より高い場合に、通常人よりも重い注意義務を課すべきであるとし、不法行為において具体的過失を問題とするもので失当である。
(三) 昭和60年9月のレントゲン写真について
控訴人らの指摘する中川医師及び森医師の各意見も、極めて小さな陰影ないし高濃度域があるというものにすぎず、これが異常所見だと断定するものではなく、これらによっても、右レントゲン写真に異常陰影があったとはいえない。
(四) 昭和61年9月のレントゲン写真(以下、この項において「本件レントゲン写真」という。)について
控訴人らは、森医師ほか各医師の意見を援用して、読影の専門家であれば、本件レントゲン写真について十分に異常の指摘が可能であったと主張する。しかしながら、森医師は各医師の意見については、いずれも、花子のレントゲン写真のみを見て判断したものであること、花子が肺癌により死亡したという転帰を認識した上で回顧的に見たものであること、胸部X線写真読影に関する昭和61年当時の医療水準を考慮せず、現時点における論者の判断をそのまま述べているものであること、読影に当たる医師が異常所見を指摘すべきかという問題と、現実の読影において指摘しなかったことが法的な過失になるかという問題を意識的に区別して論じているとは思われないし、医療過誤における判断基準としての医療水準をどこまで弁えて論じているかも明らかでないこと(なお、森山医師の意見では、高度の専門家としてどのように読影すべきかが論じられており、一般臨床医には、むしろ、異常の発見が困難であることを認めていることに注目すべきである。)などを考慮して、その信用性を判断すべきである。
かえって、以下の事実からすれば、本件レントゲン写真について異常の指摘は極めて困難であったというべきである。
すなわち、まず、本件レントゲン写真において異常陰影があるとされている部位は、臓器の背景から、異常陰影の指摘が困難である上、陰影自体も小さく、濃いとはいえないし、輪郭も追えず、癌の特徴とされる所見も指摘できない。
また、花子は、昭和61年11月29日左アキレス腱断裂により白髭橋病院に入院し、縫合手術を受けて昭和62年1月17日に退院しており、その間に胸部等のレントゲン撮影を受けているが、医師が胸部に異常所見を認めた形跡がなく、この時点でも、医師が異常を指摘するのは困難な状況にあったものというべきである。
さらに、本件レントゲン写真を含む283枚のレントゲン写真を呼吸器科専攻の医師10名に読影させたところ、要精検とした医師は10名中2名にすぎなかった(乙第40号証)し、本件レントゲン写真を含む375枚のレントゲン写真を読影させたところ、一般内科医において何らかの所見を指摘したのは10%程度、呼吸器科専門医については30%程度であった。これらの実験は、できる限り定期健康診断に近い条件で読影させたものであり、本件レントゲン写真が一般内科医はもとより、呼吸器科専門医にとっても異常を指摘することは困難であったことを示すものである。
(五) もう1人の医師の過失について
控訴人らは、もう1人の医師の過失について主張するが、その医師も、定期健康診断におけるレントゲン写真の読影に当たる医師として、被控訴人乙山と同じ立場にあったものであり、同程度の注意義務を負うものであるから、被控訴人乙山に過失がない以上、同様に過失を認めることができないのは当然である。
2 被控訴人丙川の責任について
(一) 因果関係について
被控訴人らは、被控訴人丙川には過失はないと主張するものであるが、仮に原判決の認定するとおり被控訴人丙川に過失があったとしても、右過失と花子の延命利益の喪失との間に相当因果関係がないことは以下のとおりである。
すなわち、花子は、昭和62年8月4日日大病院で受診し、胸水の所見が得られ、癌細胞が発見され、手術の適応は殆どないとされたが、一般にも、胸水に癌細胞がある場合は病期ステージVb以上であって、手術の適応はないとされている。さらに、花子は、東京女子医大に転医して、同年9月17日の胸部レントゲン撮影や同月25日の胸部CTでリンパ節拡大の所見が得られており、リンパ節転移を示唆する所見が存したといえる。
その他、花子の昭和61年9月のレントゲン所見と昭和62年6月の所見との差、入院後死亡までの転帰、年齢等からしても、同女の症状はこの間に急速に増悪したものであって、同女に対して最善の治療が行われていたとしても、現実に延命することは困難だったというほかはない。
さらに、原判決も、昭和62年6月ないし7月時点で精密検査をすべきだというにすぎないものであるところ、仮に肺癌の確定診断がされたとしても、その後治療を開始できるまで1ヶ月程度を要することも考慮せざるをえない。
(二) 被控訴人丙川の義務違反自体に基づく責任について
この点についての控訴人らの主張は、過失そのものが損害になるというものであり、患者が信頼ないし期待を裏切られて精神的苦痛を受けたというのは、患者の立場からみた不法行為ないし債務不履行を言葉を換えて述べたものにすぎない。患者が医師に診察を依頼する以上、適切な診療を期待するのは当然のことであって、期待を裏切られたから損害賠償責任を負うというのは、結局不適切な診療があれば、結果の有無に関わらず、損害賠償責任を負うというに帰し、損害が発生しないか又は因果関係が認められないにもかかわらず賠償を認めるものであって、左袒できない。
3 被控訴人丁谷の責任について
林医師の原審証言は、花子の症状について、糖尿病ないし感染症が第一に考えられることを前提として、昭和62年7月14日の処方でさしたる改善がみられないこともよくあることであるとしており、感染症だけでよいかもう一歩踏み込むのが望ましかったという趣旨にすぎず、レントゲン写真を見なかったことが落ち度にはならないと思うと明言している。したがって、控訴人らの林医師の原審証言の引用は恣意的であるといわざるをえない。
そして、花子の年齢、喫煙歴がないこと、一般状態等を考慮すれば、この時点で、被控訴人丁谷が改めてレントゲン写真の確認までしなかったことに過失はない。
控訴人らは、僅か8日後に日大病院で重篤な病気と告げられているのに、被控訴人丁谷が責任を免れるのは社会常識としても不合理、不可解であると主張するが、胸水が容易に発見できるような状況にあれば、明らかに所見が異なるから、単なる時間差のみでは論じることはできない。
4 被控訴人東京海上の責任について
控訴人らの主張は明らかではない面があるが、善解すれば、被控訴人東京海上は、被控訴人海上ビル診療所と一体ないし元請・下請のような関係にあるから、被控訴人海上ビル診療所の行う健康診断について、直接的な責任を負い、原判決のように委嘱すれば足りるとはいえないというものと思われる。
しかしながら、医療行為は高度の専門的知識と裁量を要するものであって、その可否を容易に判断できるものではない。そのため、法は、医師の資格を定め、その取得に高度の要件を付して医療行為を行いうる者を限定しており、反面において、医師でない者は、医療行為については、当該医師に委ねることが明らかに不相当であるという事情がない限り、医師に委ねれば足りるのであって、企業が医師に対し具体的な医療行為について指揮監督をしうるものではないし、また、その義務もないのである。
そして、本件において、昭和60年、61年の健康診断については、一般医療水準を下回る診断が行われたわけではないし、昭和62年についても、前記のとおり、医師らの判断にもやむをえない面があり、明白に医療水準を下回っていたとはいえないし、まして、被控訴人東京海上においてこれを知り又は知りえたという事情はない。
したがって、被控訴人東京海上に責任はないことは明らかである。
第三 証拠関係(略)

第四 当裁判所の判断
一 当裁判所も、当審における証拠調べの結果を考慮しても、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断するが、その理由は、以下のとおり付加訂正するほかは、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決17丁裏6行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。
「なお、控訴人らは、右レントゲン写真には要精査とすべき正常ではない陰影の存在が指摘されているとして、甲第57号証、第59号証を挙げるが、甲第59号証(森医師の意見書)では、右レントゲン写真には、胸部にわずかに濃度が高い部分があるように見えると指摘するものの、これが異常影ではない可能性を否定できず、集団検診として読影した場合には、異常影を発見できないとされており、甲第57号証(中川医師の鑑定書)でも、右レントゲン写真では、右下肺野血管影の内側に極めて小さな陰影を認めるが、血管影との鑑別は困難であり、前年のレントゲン写真と比較すると、その陰影が気になるが、集団検診における間接撮影フィルムにおいては極めて困難な所見と思われるとされており(なお、この程度でも精査に持ち込むことが集団検診業務の役目と思うとの意見が付されている。)、いずれも異常陰影の存在を明確に認めているものではない上、これを異常陰影であるとしても、その指摘は困難であるとするものであって、前記認定を左右するに足りないというべきであるから、控訴人らの右主張は採用できない。」
2 同7行目の「検乙第一号証の5」から同18丁裏6行目末尾までを、次のとおり改める。
「(一) 検乙第一号証の5及び原審における鑑定の結果によれば、昭和61年9月のレントゲン写真(以下、この項においては「本件レントゲン写真」という。)には、その胸部につき右下肺野内側寄り第9後肋骨に重なるところに、境界不鮮明なやや高濃度の異常陰影が存在することが認められる。
そこで、右異常陰影の発見が可能であったかどうかについて検討する。
(二) 原審における林鑑定及び林医師の証言によると、右異常陰影の存在する部位は、[1]下降肺動脈枝が走行すること、[2]肋骨末端部が肋軟骨に連なる部分で、化骨が見られやすい部分であること、[3]下行気管支が走行する部分であること、[4]肺動脈が下大動脈に入る部分であること、[5]第9肋骨の起始部が存在すること、[6]中葉症侯群(中肺葉の慢性あるいは亜急性の感染症)を来しやすい部分がこれに重なる部分であることなど、臓器の背景から、この部位の正常以外のものの陰影が指摘しにくい部位であるといえることや、集団検診において数百枚のフィルムを読影するなどの読影条件などを考慮すると、本件レントゲン写真については、間接フィルム読影に熟練したものでも「異常なし」とする可能性があり、本件レントゲン写真が、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識なく読影された場合、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いことが認められる。
これに対し、森医師は、甲第73号証の意見書及び当審証言において、林鑑定が、臓器の背景を理由として、異常陰影の存在する部位がこの部位の正常以外のものの陰影が指摘しにくい部位であるとしていることについて、下肺野で動脈影と静脈影が重なったとしても、中間肺動脈幹以上の濃度を示すとは考え難く、前項の[1]、[4]の血管影の重なりのみでは異常陰影の濃度を説明することは不可能であることなどから、正常の構造のみで異常陰影の濃度変化を説明することは困難であるとして、林鑑定の指摘する理由によっては異常陰影の指摘が困難であるとは考え難いと述べている。
しかしながら、これに対しては、徳田医師が、当審証言及び乙第六0号証の意見書において、実例を示した上で、血管の重なり方によっては、下肺野で中間肺動脈幹以上の濃度を示すこともありうるのであるから、血管影の重なりのみでは異常陰影の濃度を説明することは不可能であるとはいえないと述べている上、森医師自身も、甲第五9号証の意見書においては、読影医によっては、異常陰影を血管影の重なりによる濃度上昇域として読影してしまう可能性を否定できないと述べているのであって、森医師の林鑑定に対する前記批判は採用し難い。
なお、控訴人らは、このほか林鑑定に問題点があるとして縷々指摘するが、林鑑定を正解しないものか、前提を異にするものといわざるをえず、採用できない。
(三) また、徳田医師の当審証言及び乙第60号証の意見書においても、右異常陰影の存在する部位は血管が錯綜し、前後の肋骨陰影が重なり、異常が指摘しにくい部位であること、右異常陰影(第9肋骨直上の1.2×0.6cm位の部分)は大きいともいえず、濃い陰影でもなく、輪郭もはっきり追えず、癌の特徴とされるスピキュレイションやノッチなども指摘できないこと、乙第40、41号証の実験結果などから、昭和61年当時の一般臨床医の医療水準を前提とすれば、本件レントゲン写真が、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関する何らの予備知識なく読影された場合、右異常陰影を指摘することは困難であるとされている。
なお、控訴人らは、徳田医師が、右異常陰影が肺癌のサインの1つである境界不鮮明の浸潤影であることを否定し、後にこれを認めながら、昭和60年当時には境界が不鮮明な陰影を癌と疑うような知見は一般化していなかったとの虚偽の供述をしていると主張する。しかしながら、徳田医師の当審証言を見ると、右異常陰影が輪郭がはっきり追えない陰影であるというのは、肺癌のサインの1つである境界不鮮明の場合(全周性にその輪郭を追うことができてその輪郭がぼけている場合)とは全く異なる(ある場合がぼんやりと濃度が高い場合)という趣旨であると供述した上で、森医師の本件レントゲン写真の白い陰影についての「濃度は高いが陰影の辺縁が見えない。」との証言に関しては全く同意見であると供述し、さらに、「腺癌の場合にはそのようなことが多いから、写真を、淡い影とか、限局性に何か白っぽいところがないかどうかという目で見ている。」との証言についても全く同意見であるとしつつ、10年前にはそのような認識は一般的ではなく、当時は、血管と血管の重なりのように見える白っぽい陰影は要精検とする必要はない、輪郭がはっきりしない影は拾う必要はないと指導されたと供述している。したがって、徳田医師は、本件レントゲン写真の右陰影は、輪郭がはっきり追えない陰影であって、10年前にはこれを肺癌のサインの1つであるとする知見は一般化していなかったとするものであり、何ら齟齬はない。また、控訴人らの指摘する文献等を精査しても、右供述が虚偽であるとはいい難い。そのほか控訴人らが徳田医師の右意見について縷々指摘する点もいずれも採用し難い。
次に、乙第40号証(西元医師作成の意見書)によれば、西元医師が、花子の昭和60年9月のレントゲン写真及び本件レントゲン写真を含めた合計283枚のフィルムを、呼吸器科専攻の医師10名に、読影の目的、被検者の性別・年齢・職業などの情報、特定の疾患が含まれている可能性の有無等について一切知らせないまま読影させる実験を行ったところ、要精密検査とされたのは平均して3.6%(0.4%から8.5%)であり、妥当な要精密検査率とされている2ないし3%よりもやや高めであったが、本件レントゲン写真を要精密検査としたのは10名中2名にすぎなかったことから、結論として、本件レントゲン写真を所見ありと当然判断すべきものとはいえないとされている。なお、控訴人らは、右実験結果は信用できないとして縷々主張するが、いずれも採用できない。
また、乙第41号証(小川医師作成の意見書)によれば、小川医師が、花子の昭和60年9月のレントゲン写真及び本件レントゲン写真を各1枚ずつ混入したA群188枚、B群187枚のフィルムを、一般内科医10名、呼吸器科専門医10名に、やはり何らの情報も与えないで読影させる実験を行ったところ、本件レントゲン写真のうちA群の1枚については、一般内科医10名中2名が、呼吸器科専門医10名中4名が何らかの所見を指摘し、B群の1枚については、一般内科医中4名が、呼吸器科専門医中6名が指摘したこと、なお、そのA群・B群の両方に所見を指摘したのは一般内科医1名、呼吸器科専門医3名であったこと、ただし、各医師の指摘率が高めである点からすると、この実験が一般の定期健康診断と同条件で全く予見がなかったとは言い切れないこと、結論として、本件レントゲン写真については、一般の臨床医において、必ず指摘すべき所見を呈しているとはいえず、日常の定期検診レベルで所見なしと判定することは見逃しとして扱うべきではないとされている。
以上の事実も、前記(二)の認定判断の裏付けとなるものといえる。
(四) 以上に対し、控訴人らは、定期健康診断におけるレントゲン写真の読影医の注意義務の水準としては、一般的な臨床医ではなく、レントゲン写真読影専門医を基準とすべきであり、そうでないとしても、被控訴人乙山はレントゲン写真読影専門医であったから、少なくとも本件ではレントゲン写真読影専門医を基準とすべきであるところ、これを基準とすれば、本件レントゲン写真について、異常陰影の存在を指摘することは十分可能であったもので、このことは森医師ほか各医師の意見からも明らかであると主張する。
しかしながら、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であって、定期健康診断におけるレントゲン読影医の注意義務の水準としては、これを行う一般臨床医の医療水準をもって判断せざるをえないというべきであり、このことは、被控訴人乙山がレントゲン写真の読影につき豊富な経験を有していたとしても異ならない(なお、控訴人らは、被控訴人東京海上がレントゲン写真読影専門医を擁していることを社員に積極的に宣伝していたことからしても、一般臨床医を基準とすべきではないと主張するが、被控訴人東京海上が右のように積極的に宣伝をしていたことを認めるに足りる証拠はない。)。
そして、控訴人らの挙げる各医師が、以下に述べるとおり、控訴人らの指摘するような意見を述べていることは認められるものの、読影当時の専門医を基準とした判断であるものが多い上、いずれも花子のレントゲン写真だけを対象として読影しており、さらに花子の病歴を知った上で回顧的に読影したり、花子の各年のレントゲン写真を比較して読影したものであって、昭和61年当時に定期健康診断において被検者についての何らの情報もなく大量のレントゲン写真を短時間に読影する場合とはおのずから読影条件が異なることをも考慮すると、結局、これらの意見をもっては前記(二)の認定を左右するものとはいえない(ちなみに、徳田医師は、当審において、前記(三)のとおりの意見を述べた上、現時点で自ら読影する場合には、10回に3回位しか異常を見落とさないであろうと述べている。)。
まず、森医師は、当審証言及びその作成の意見書において、異常影の位置、大きさから、異常陰影であることは明らかであり、1人で読影した場合1割か2割、経験の浅い医師で2割位の見落としはあるかもしれないが、2人の医師で読影した場合にはかなり見落としの確率は少なくなるだろうとの意見を述べている。しかしながら、森医師の当初の意見(甲第五9号証)では、読影医によっては、異常陰影を血管影の重なりによる濃度上昇域として読影してしまう可能性を否定できないと述べているのであって、最初に本件レントゲン写真を読影した際の見解である当初の意見の方が相当であると解される。
中川医師作成の意見書には、専門の医師であれば見落とすはずのない明らかな異常所見である旨が述べられ、また、中島医師作成の意見書でも、胸部X線診断に携わっている医師であれば高い確率で病変を指摘することが可能である旨が述べられ、いずれも専門医を基準とした意見であると解される。
横山医師作成の「甲野花子殿胸部レ線写真読影」と題する書面には、本件レントゲン写真につき「この1枚のみで要注意、精査、前年と比較すれば進行あり」との意見が述べられているが、この書面は、横山医師が、花子の昭和57年から昭和62年までの各年のレントゲン写真を対象として、いつから異常陰影が生じているかを検討したものであり、「本件レントゲン写真1枚だけを急いで眺めたときは判定を誤ることもありうると思う」旨が付記されている。また、同医師の「鑑定に対する反論」と題する書面には、本件レントゲン写真について「このフィルムの異常を指摘できなければ専門医とはいえない。」との意見が述べられており、やはり、専門医を基準とした意見である。
森山医師と控訴人らとの会話についての録音反訳書には、本件レントゲン写真の異常の見落としの可能性について、森山医師が「10回のうち1回落ちないかもしれない。」旨の発言をしたことが記載されているところ、(証拠略)によれば、森山医師は、事前に花子の昭和62年のレントゲン写真及び本件レントゲン写真の送付を受け、面談の際にも花子の昭和59年から昭和62年までの各年のレントゲン写真を示された上で意見を求められたものであると認められるし、森山医師の陳述録取書によれば、前記の発言は専門医である自分が読影した場合を述べたものであり、昭和61年当時に本件レントゲン写真について、専門医が異常影を指摘できなかったとしても非難できないと思うと述べているのであって、専門医を基準とした意見である上、むしろ前記(二)の認定に沿う旨の意見であるといえる。
平野医師作成の意見書には、明らかに異常な腫瘤影であり、肺癌を疑って直接撮影、CTスキャンなどの精密検査を行うべきであって、このことは一般の内科医であっても十分に可能な判断であるとの意見が述べられているが、前記の諸点に加え、以上の各医師の意見とも異なることを考慮すると、やはり、前記(二)の認定を左右するに足りないというべきである。
(五) そして、定期健康診断は、一定の病気の発見を目的とする検診や何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査とは異なり、企業等に所属する多数の者を対象にして異常の有無を確認するために実施されるものであり、したがって、そこにおいて撮影された大量のレントゲン写真を短時間に読影するものであることを考慮すれば、その中から異常の有無を識別するために医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界があるというべきである。
したがって、被控訴人乙山が本件レントゲン写真につき「異常なし」と診断したことに、過失を認めることはできない。
(六) なお、控訴人らは、本件レントゲン写真につき、被控訴人乙山とともに二重読影したもう1人の医師の過失を問題にするが、仮にこのもう1人の医師の過失を問題にすべきであるとしても、以上説示したところは、もう1人の医師の過失の判断に当たってもそのまま妥当するというべきであって、結局、もう1人の医師についても過失を認めることはできないといえる。」
3 同24丁表7行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。
「なお、控訴人らは、林医師は、原審において、同日の時点で、全く普通の内科医が被控訴人丙川記載のカルテだけを見た場合でも、糖尿病に伴う感染症だけでよいのかと、それまでのレントゲン写真を取り出して確認したり、新たにレントゲン写真を撮り直すなどするであろうと証言していると指摘するが、林医師の原審証言によれば、なるほど右の趣旨の証言をしているものの、これに続いて、当該内科医がレントゲン写真を見なかったことが落ち度にはならないと思う、右感染症の継続治療をすることもありうるであろうと証言しているのであって、以上を総合すれば、林医師の原審証言も前記認定判断と齟齬するものではない。
また、控訴人らは、右時点の花子の状態は、その僅か8日後の同年8月4日に日大病院を受診し、控訴人ら家族は花子が重篤な病気であると告げられた程であって、被控訴人丁谷に法的責任がないというのは社会常識としても不合理かつ不可解であると主張するが、それだけでは、前記認定判断を左右するものとはいえない。」
4 同裏5行目の「断定できず」の次に、「(控訴人らは、東京女子医大病院での同年9月にされた種々の検査で癌の転移が認められなかったことからすると、同年6月ないし7月の時点で花子の肺癌はリンパ節に転移していなかったものと認められると主張するが、林医師の原審証言によれば、日大において胸水から癌細胞が発見されたが、これは胸膜に癌が転移したことを示すものであることが認められる上、乙第一五号証によれば、東京女子医大病院における検査結果においても、同年9月17日の胸部X線所見では右側肺門にリンパ節拡大が見られ、同月25日の胸部CT検査では気管周囲と気管分岐下部にリンパ節の拡大や、少量の右側胸膜浸出が見られるなど、癌の転移を示唆する所見が認められるから、控訴人らの右主張は採用できない。)」を加え、同5行目の「林証言によれば、」の次に、「同年8月4日に花子が日大病院に転医した時点においては、胸膜に癌の転移が認められ、既に手術不能の状態であったもので、」を加える。
5 同25丁表4行目冒頭から同裏2行目末尾までを、次のとおり改める。
「控訴人らは、患者は、資格のある医師に診療を依頼した以上、当該医師が通常の医療水準に即した診療を行うものと期待し、信頼しているのであり、このような期待は法的保護に値するから、医師の側がこのような患者の信頼ないし期待に背き、重大な過失を犯したときは、そうした治療機会の喪失自体が患者に精神的苦痛をもたらす独立の損害であり、医師に対して慰謝料支払義務を負わせる根拠となると考えられ、あるいは、また、患者のこのような期待に反し、医師がその任務を懈怠した場合には、このような任務懈怠自体が患者に重大な精神的苦痛を与え、医師に慰謝料の支払義務を生じさせるとも考えられると主張する。
しかしながら、右のような考え方は、医師の過失と患者に生じた結果との間に因果関係が認められず、したがって、当該過失によって損害が発生したとはいえない場合にまで、損害賠償責任を肯定しようとするものにほかならないから、このような考え方は採用できないといわざるをえない。」
6 同26丁表3行目末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。
「なお、控訴人らは、要するに、被控訴人東京海上と本店診療所及び被控訴人海上ビル診療所とは、一体あるいは元請・下請のような関係にあるのであるから、被控訴人東京海上は、安全配慮義務の履行の一環として、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行いうる医療機関に委嘱すれば足りるというものではなく、本店診療所及び被控訴人海上ビル診療所の行った定期健康診断について、いわば直接に責任を負うと主張するもののようである。しかしながら、このような考え方は、被控訴人東京海上に対し、定期健康診断を実施する医師ないし医療機関の具体的な個々の医療行為につき指揮監督すべき義務を負わせることに帰着し、採用できないことが明らかである。」
7 同8行月末尾の次に、行を改めて、次のとおり加える。
「なお、控訴人らは、昭和61年の定期健康診断においては、被控訴人乙山がレントゲン写真の異常陰影を見落とし、昭和62年の定期健康診断においては、被控訴人丙川がレントゲン写真の異常陰影を見落とし、また被控訴人丁谷がレントゲン写真の見直しをしなかったもので、いずれも一般医療水準を下回る診断がされたことは明白であると主張するが、被控訴人乙山及び被控訴人丁谷につき過失が認められないことは既に説示したとおりであるし、被控訴人丙川に過失が認められることは前記のとおりであるとしても、このことから直ちに、昭和62年の定期健康診断について一般医療水準を下回る場合に当たるとはいえないものであって、控訴人らの右主張も採用できない。」
二 よって、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第4民事部
裁判長裁判官 矢崎 秀一
裁判官 筏津 順子
裁判官 山田 知司

[参考・1審判決]
東京地裁 平成7年11月30日判決
事件番号 平成2年(ワ)第10439号

主   文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由
第一 請求
一 被告乙山一郎(以下「被告乙山」という。)及び被告東京海上火災保険株式会社(以下「被告東京海上」という。)は、連帯して原告ら各自に対し、金4600万円及びこれに対する昭和62年11月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
二 被告丙川二郎(以下「被告丙川」という。)、被告丁谷三郎(以下「被告丁谷」という。)、被告医療法人財団海上ビル診療所(以下「被告海上ビル診療所」という。)及び被告東京海上は、連帯して原告ら各自に対し、金287万円及びこれに対する昭和62年11月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告らの妹である甲野花子(以下「花子」という。)が、当時勤務していた被告東京海上の実施した社内定期健康診断を受けた際、胸部レントゲン写真の異常陰影が見過ごされ、診療時の訴えも取り合ってもらえなかったために、肺癌に対する処置が手遅れとなり救命も延命もできなかったとして、医師である被告3名に対し不法行為に基づく損害賠償を、更に右医師らの使用者たる被告2社に対して民法715条などに基づく損害賠償を請求する事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者
(一) 原告甲野春江は花子の姉であり、原告甲野夏夫(以下「原告夏夫」という。)は花子の兄である。
(二) 被告東京海上は、損害保険事業を営むことを目的とする株式会社で、かねてより東京の本社ビル本館内に東京海上火災保険本店診療所(以下「本店診療所」という。)を設け、嘱託医師等を常駐させて社員の診療等を実施してきた。被告乙山は、内科・呼吸器科を専門とする医師であり、昭和60年及び61年には被告東京海上の嘱託医として本店診療所において診療に従事していた。
被告海上ビル診療所は、診療所を経営することを目的とする医療法人財団で、昭和62年1月から被告東京海上の東京の本社ビル新館内で診療を行っている。被告丙川及び被告丁谷はいずれも内科を専門とする医師であり、昭和62年には被告海上ビル診療所の勤務医として診療に従事していた。
2 被告東京海上は、毎年全社員の定期健康診断を実施しており、東京の本店については、本店会議室に臨時の検診場を設けて検診を行い、身体・視力・血圧の測定、尿検査、胸部レントゲン検査の他、医師による問診及び聴診等を行い、必要があれば精密検査を指示することにしていた。胸部レントゲン写真については、オデルカ100oミラー方式による間接撮影で、後日本店診療所において医師2名による同時読影が行われた。そして、被告東京海上は、昭和62年度からは、定期健康診断を被告海上ビル診療所に委嘱するようになり、花子が受診した成人病Aコースでは、右検査項目のほか、問診表の提出、血液検査、心電図測定等が実施され、胸部レントゲン写真については、直接撮影で医師1名による読影が行われた。
3 花子は、昭和51年4月、被告東京海上に入社し、昭和60年8月1日から東京営業第2部小岩支社勤務となった。
花子は、入社以来、毎年、被告東京海上が実施する定期健康診断を受診していた。
(一) 花子は、昭和60年9月17日、本店診療所において定期健康診断を受診したが、被告乙山は、右検診の際に撮影された花子の胸部レントゲン写真(以下「昭和60年9月のレントゲン写真」という。)を読影して「異常なし」と診断した。
(二) 花子は、昭和61年9月16日、本店診療所において定期健康診断を受診したが、被告乙山は、右検診の際に撮影された花子の胸部レントゲン写真(以下「昭和61年9月のレントゲン写真」という。)を読影して「異常なし」と診断した。
(三) 花子は、昭和62年6月17日、被告海上ビル診療所において定期健康診断を受診したが、その際、胸痛及び息苦しさを訴えた。被告丙川は、右検診の際に撮影された花子の胸部レントゲン写真(以下「昭和62年6月のレントゲン写真」という。)を読影した。
被告海上ビル診療所は、被告東京海上を経由して、花子に対し、右定期健康診断の結果を報告書によって通知したが、同報告書には、糖尿病精査のための糖負荷検査受診の指示及び右第2弓の軽度突出、右横隔膜の挙上を認めた旨の記載があり、花子は、同年7月14日、被告海上ビル診療所において糖負荷検査を受けた。
右検査の際、花子は、被告丙川に対し、6月中旬ころから咳及び痰が出て、痰の一部に血の混じることがあったと話し、被告丙川は、同日、花子の胸部レントゲン撮影を行い、その写真(以下「昭和62年7月のレントゲン写真」という。)を読影した。
(四) 花子は、同年7月27日、同月14日の糖負荷検査の結果を聞くために被告海上ビル診療所へ行き、被告丁谷から糖尿病の診断を受けた。その際、花子は、被告丁谷に対して、湿性咳の症状があり、時折発作的に咳き込むことがあると訴えた。
4 花子は、同年8月4日、日本大学駿河台病院(以下「日大病院」という。)で受診し、同月13日入院して9月に入ってから化学療法を受けた。更に、同年9月17日、東京女子医大病院へ転院し、全身温熱療法を3回受けたが、同年11月20日、同病院において肺癌による呼吸不全により死亡した。
二 争点
1 被告乙山の過失
(一) 原告らの主張
(1) 昭和60年9月のレントゲン写真では、右の心臓の辺縁の横に淡い異常陰影が認められ、昭和61年9月のレントゲン写真では、右の第9肋骨の根元と第4肋骨の先端が重なるあたりに、辺縁が不規則な最大径は約2cmの濃い異常陰影が認められる。担当医師としては、右各写真を読影した際に通常の注意を払っていれば、異常陰影を発見することは可能であり、発見すべき注意義務があるにもかかわらず、被告乙山は、これを怠って異常陰影をいずれも見落とした過失がある。
(2) 被告乙山は、呼吸器に関するスペシャリスト、更には肺癌のスペシャリストといえる立場にあり、被告東京海上の嘱託医として同社の健康診断に従事し、中でも約30年にわたって胸部レントゲン写真の読影を行ってきたものであり、胸部レントゲン写真上で肺癌を見つけることにつき、一般の内科医よりも高い能力を持っており、高度の注意義務を要求される立場にあった。
(二) 被告らの主張
(1) 昭和60年9月及び昭和61年9月の各レントゲン写真については、いずれも異常陰影は認められない。
仮に、異常陰影が認められるとしても異常を指摘するのはかなり困難で、一般臨床医の医療水準を前提にすれば異常を発見できない可能性の方が高いといえるから、被告乙山が異常なしとしたことに過失はない。
(2) 医師の注意義務の判断基準は、抽象的には診断当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準とされているが、現実の医療水準は、一般診断か精密検査か、診療所における診断か大学病院における診断か等の諸条件に応じた相対的な基準として判断されるべきであるところ、そもそも社内定期健康診断におけるレントゲン撮影は、大量かつ簡易に処理することを目的としており、大学病院のような専門性を有するものではないから、本件過失の判断にあたっては一般臨床医学の水準を基準とするべきであって、読影担当者の立場によって、過失判断の基準に変更を生ずることはない。
2 被告丙川の過失
(一) 原告らの主張
(1) 昭和62年6月のレントゲン写真では、右の横隔膜が少し挙がっており、右下肺野内側(場所は、肋骨の後ろの部分の第7肋骨から第9肋骨にかけて。第7肋骨と第8肋骨にわたる部分)に辺縁が鮮明で大きさは上下約5cmの腫瘤影(腫瘤の内側は縦隔に接している。)が認められる。担当医師としては、右写真を読影した場合には、異常陰影に気づいて、直ちに精密検査を指示すべきであった。ところが、被告丙川は右写真を読影しながら総合判定を行い、花子の血糖値がやや高いことから「要精密検査」という判定をしたが、右写真の所見については、「右の第2弓の軽度突出と右の横隔膜の挙上」を認めたものの、それ以上踏み込んだ検討をせず、この点について特段の措置をしなかった過失がある。
(2) また、花子は、昭和62年7月14日、糖負荷検査と被告丙川による診察を受け、その際、同年6月末に血痰が見られ、7月に入ってからは咳込んだり痰がからんだりしていることを話し「肺癌でないか心配だ。」と訴えた。これに対して、被告丙川は、「肺癌ではない。」「心配ない。」と説明し、同日、改めて花子の胸部レントゲン写真を撮影した。その写真でも、昭和62年6月のレントゲン写真とほぼ同じ(横隔膜の挙上については右ほどは目立たない。)腫瘤様の異常陰影が認められる。担当医師としては、右写真を読影した場合には、異常陰影に気づいて、その異常については肺癌・結核・肺炎などを考慮に入れて精密検査を指示すべきであったし、血痰が見られたなどの訴えがあったのであるから肺癌を疑うべきであった。ところが、被告丙川は、上気道炎の可能性が高いと考え、その対症療法を施したもので、過失がある。
(二) 被告らの主張
(1) 被告丙川は、昭和62年6月17日の花子の定期健康診断の検査の結果、血液一般、血清、生化学及び尿検査については、血糖値以外に異常所見は得られず、胸部レントゲン撮影では、右第2弓の軽度突出及び右横隔膜の挙上があるとの所見が得られたので、これを総合して、糖尿病の精査のため糖負荷検査を受けることを指示し、レントゲン所見については、花子に咳や痰、血痰がないこと、呼吸音が清明であること及びその他の検査結果、既往歴、年齢、性別、全身状態などを総合的に勘案して、直ちに胸部の精密検査をする必要はないものと判断したものであり、右判断に過失はない。
(2) また、被告丙川は、同年7月14日、糖負荷検査を受けに来た花子を診察した際、花子から、父親が糖尿病で療養中であること、身長が149cmで体重48kgであること(標準体重に比べてやや太り気味と考えられる。)及び6月中旬ころから咳、痰が出て、痰の一部に血が混じることを聞き、胸肺部を聴診し異常はなかったが、咽頭に発赤が見られたため、レントゲン撮影を指示した。しかし、右レントゲン所見は前回の所見と大差がなく、被告丙川は、上気道炎を第一に考え、咳・痰に対する消炎剤、去痰剤を処方した。
花子が肺癌を心配して尋ねたことはなく、被告丙川がその点につき判断を述べたこともない。
そして、花子が、咳、痰等を訴えていたということなどから直ちに肺癌と確定診断できるわけではないし、花子の年齢、性別、喫煙歴のないこと、一般状態等も併せて考えれば、被告丙川が、糖尿病及びそれに付随する感染症を第一義的に考えたとしても右時点での判断としてはやむを得ないものというべきで、右判断に過失はない。
3 被告丁谷の過失
(一) 原告らの主張
被告丁谷は、昭和62年7月27日、花子に対して同月14日の糖負荷検査の結果を説明し、糖尿病に対する食事療法を指示した。この診察の際、同月14日のカルテの記載内容からは、花子の訴え及び被告丙川の処方が認められ、また、花子は、丁谷に対しても咳、痰及び胸痛などにつき説明をしている。このような場合、担当医師としては、本当に糖尿病に伴う感染症だけでよいのかを疑うべきで、具体的には、それまでの花子のレントゲン写真を取り出してその確認をするか、又は新たにレントゲン写真を撮り直し、それにより胸部疾患の有無・内容について確認するべきであった。ところが、被告丁谷は、それ以前に撮影された花子のレントゲン写真を取り出すことが簡単であったにもかかわらず、それを確認せず、また撮り直しもせずに、気管支炎に対する対症療法を施したのみで、過失がある。
(二) 被告らの主張
被告丁谷は、もともと花子の受診は糖尿病の検査結果を聞きに来たのが契機であったことに加え、糖尿病を基礎に持つ患者の感染症で咳や痰の症状が長引くことはままあることなどから、引き続き対症療法で経過を見ることにしたものであり、右判断に過失はない。
4 被告乙山の過失行為と結果との因果関係
(一) 原告らの主張
昭和61年9月当時の花子の肺癌は、病期ステージTに該当するものであり、手術の結果の5年生存率は65%以上であった。
したがって、昭和61年の時点で異常が発見され、大学病院等での精密検査、手術を行っていれば、花子につき救命は十分可能であった。
(二) 被告らの主張
原告らの主張は、仮定条件の下での単なる希望的観測にすぎず、事実として認められるものではない。
5 被告丙川及び被告丁谷の過失行為と結果との因果関係
(一) 原告らの主張
昭和62年6月ないし7月当時の花子の肺癌は、病期ステージVaに該当するものであったが、リンパ節を含む肺癌の転移は認められず、手術可能であった場合には30%以下とはいえ5年間生存する可能性があり、手術ができなかったとしても、約1年ないしそれ以上の生存は期待できたのであった。
したがって、同年6月又は7月の時点で異常が発見され、大学病院等での精密検査、治療を行っていれば、花子につき最悪でも半年程度の延命は可能であった。
(二) 被告らの主張
花子は、昭和62年8月4日に日大病院で受診した際、胸水の存在が認められていることなどからすると、同年6月及び7月当時、リンパ節を含む肺癌の転移がなかったとはいえず、病期ステージVbあるいはWに該当するものであったのであり、既に手術は不可能であって、仮に、同年6月又は7月の時点で肺癌の疑いをもって精査その他を行っても、日大病院での治療との間で予後は変わらなかった。したがって、花子が罹患した肺癌の特性及びこれに対応する当時の医療水準に照らすと、花子につき延命の可能性はなかった。
6 被告丙川及び被告丁谷の義務違反自体に基づく責任
(一) 原告らの主張
(1) そもそも医師は、患者からその生命・身体という最高の法益を託される職業であり、その義務の履行に際しては医療水準の如何にかかわらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき注意義務を負っており、右義務に違反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときには、医師のその作為・不作為と患者に生じた結果との因果関係を問うことなく、医師はその不誠実な医療自体につき、これによって患者側に与えた精神的苦痛の慰謝に任ずる責がある。
(2) 本件において、被告丙川は、医師であれば誤るはずのないレントゲン写真の読影を誤ったばかりか、花子が「肺癌でないか心配だ。」と訴えたのに対して「肺癌ではない。」「心配ない。」と積極的に肺癌を否定し、更に、昭和62年8月4日、花子がレントゲン写真を借り出しに被告海上ビル診療所を訪ねた際には、大声で怒鳴るといった対応をした。
また、被告丁谷は、花子が血痰や咳等の不調を懸命に訴えたにもかかわらず、これを真剣に取り上げようとはせず、「何でもない。」と片づけてしまった。
(3) したがって、被告丙川及び被告丁谷は、右義務に違反して花子に対し粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたのであるから、花子の生存・延命の可能性の有無にかかわらず、花子の信頼ないし期待を裏切って精神的苦痛を与えたことについて、慰謝料を支払うべき責任がある。
(二) 被告らの主張
(1) 原告ら主張の義務違反自体に基づく責任という構成は、損害賠償法上認められるものではない。
(2) 仮に、右のような責任が理論的に認められるとしても、それは医師の側の過失が極めて重大であり、それによって重篤な結果をもたらすなど、患者の期待を著しく害した場合に限られるべきであるところ、本件において、被告丙川及び被告丁谷において重大な過失はなく、花子の期待を著しく害したとはいえないのであるから、右責任は認められない。
7 被告東京海上及び被告海上ビル診療所の使用者責任
(一) 原告らの主張
(1) 昭和61年の定期健康診断における被告乙山及び氏名不詳の読影担当医の不法行為責任が認められることから、被告東京海上は使用者責任を負う。
(2) 昭和62年の定期健康診断及び診療における被告丙川及び被告丁谷の不法行為責任が認められることから、被告海上ビル診療所は使用者責任を負う。
(3) また、昭和62年の定期健康診断及び診療における被告丙川及び被告丁谷の不法行為責任につき、被告東京海上は被告海上ビル診療所と組織的、財政的、人的に密接な関係があり、少なくとも被告東京海上の社員の定期健康診断の関係では、実質的に同一又はいわゆる親会社・子会社の関係ないし支配従属の関係にあるといえるから、被告東京海上も使用者責任を負う。
(二) 被告らの主張
(1) 昭和61年の定期健康診断における被告東京海上の使用者責任については争う。
(2) 昭和62年の定期健康診断及び診療における被告海上ビル診療所の使用者責任については争う。
(3) 昭和62年の定期健康診断及び診療における被告東京海上の使用者責任については争う。
被告海上ビル診療所は被告東京海上の関連医療法人であって、両者に相応の関係があることは否定しないが、医療は、医師という専門家が高度の技術と知識に基づき行う裁量行為であり、医師でないものが容易に評価ないし規制する能力を有するものではないところ、まして別個の法人格を持つ被告海上ビル診療所の医療行為につき被告東京海上が容喙する立場にはなく、両者の間に支配従属関係はない。
8 被告東京海上の安全配慮義務違反に基づく責任
(一) 原告らの主張
(1) 一般に企業は、労働契約ないしは雇用契約上、従業員の生命・健康・身体の安全を守るために相応の配慮をすべき法的義務があり、この安全配慮義務に違反して従業員に損害を与えた場合には、債務不履行として損害を賠償すべき責任を負う。従業員に対する定期健康診断の実施は、この安全配慮義務の履行の一環として位置づけられるところ、企業は、定期健康診断の実施にあたり、疾病の早期発見のために必要にして十分な健康診断制度を作りかつそれを運用すべき義務がある。
(2) 昭和61年の定期健康診断の際、胸部レントゲン写真の読影に関しては、4時間半で約800枚の写真を多人数用読影機で休みなしに読影するという不適切な読影方法が採られ、しかも高齢の被告乙山に行わせることで読影の精度を低下させていた。被告東京海上は、右健康診断の実施方法についての計画と実行を直接行ったものであるが、右のとおり欠陥のあるままレントゲン写真の読影を行わせて、花子の異常陰影を見落とす結果を招いたのであるから、安全配慮義務違反がある。
(3) 昭和62年の定期健康診断の際、胸部レントゲン写真の読影に関しては、従前の2人の医師による読影から1人の医師による読影体制になり、しかも呼吸器の専門医でなく経験も浅い被告丙川及び被告丁谷が担当医となり、異常陰影を見過ごす危険性が増加する態勢となっていた。被告東京海上は、右健康診断の実施につき被告海上ビル診療所に委嘱したものであるが、右の危険性のある態勢を敢えて容認して、花子の異常陰影を見落とす結果を招いたのであるから、安全配慮義務違反がある。
(二) 被告らの主張
(1) そもそも医師は、高度の専門的知識と技術に基づき、医療行為を行うものであり、非専門家が容易に関与し得るものではないし、もともと健康診断には時間的、人数的その他の制約があることから、徒に手間暇をかけたところでそれに見合う成果が得られるという保証もない。したがって、被告東京海上は、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行い得る医療機関に委嘱すれば足りるのであって、右診断が明白に右水準を下回り、同被告がそれを知り又は知り得たというような特段の事情がないかぎり、責任を負うものではない。
(2) 昭和61年の定期健康診断については、医師は自らの判断で休憩するなどの措置を採るはずで、被告東京海上がそれを伝える義務はないし、読影機も、当該機械で読影すること自体が不適切だとの事情はない。
昭和62年の定期健康診断についても、2人の医師による読影でなければならないとまではいえない。
そして、被告各医師は、医師としての相応の能力を有し研鑽を積んできたものであった。
(3) 以上から、被告東京海上は、昭和61年及び62年のいずれについても、花子に対する安全配慮義務を懈怠したものではない。
9 損害
(一) 原告らの主張
(1) 花子の損害(原告らが相続により等分に取得)
ア 救命について
逸失利益 6000万円
花子の就労可能年数は34年間であり、死亡前年の給与合計額529万3680円から生活費として30%を控除し、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、6000万円(1万円未満切捨て)となる。
慰藉料 1500万円
花子は、死亡当時未だ満33歳であり、人生半ばで無念の死を遂げた精神的苦痛を金銭に評価すると1500万円となる。
イ 延命について
慰藉料 500万円
花子は、昭和62年6月又は7月に適切な医療を受けていても死の結果を免れることができない状態であったとしても、右時期から適切な治療を受けられず、相当期間の延命の利益を失い、甚大な精神的苦痛を被ったものであり、この精神的苦痛を金銭に評価すると500万円となる。
(2) 原告ら固有の損害
ア 慰藉料 各250万円
原告らは、3人兄弟姉妹の1人である花子を肺癌で失い、極めて大きく深い精神的苦痛を被ったものであり、この精神的苦痛を金銭に評価すると原告それぞれにつき250万円となる。
イ 弁護士費用 各637万円
原告らは、本件訴訟の追行を弁護士に依頼し、報酬として原告各人が請求額の15%にあたる637万円(1万円未満切捨て)を支払う旨約束した。
(二) 被告らの主張
損害については争う。

第三 争点に対する判断
一 被告乙山の過失について
1 検乙第一号証の4及び鑑定人林泉の鑑定の結果(以下「鑑定の結果」という。)によれば、昭和60年9月のレントゲン写真には、異常陰影は認められない。
したがって、被告乙山が、右レントゲン写真につき「異常なし」と診断したことに、過失を認めることはできない。
2 検乙第一号証の5及び鑑定の結果によれば、昭和61年9月のレントゲン写真には、その胸部につき右下肺野内側寄り第9後肋骨に重なるところに、境界不鮮明なやや高濃度の異常陰影の存在が認められる。
そこで、右異常陰影の発見が可能であったかどうかについて検討すると、鑑定の結果及び証人林泉の証言(以下「林証言」という。)によれば、右異常陰影の存在する部位は、他の臓器等の背景からこの部位の正常以外のものの陰影が指摘しにくい部位であること等の理由から、右レントゲン写真については、間接フィルム読影に熟練したものでも「異常なし」とする可能性があり、右レントゲン写真が、定期健康診断において撮影され他の数百枚のレントゲン写真と同一の機会に、当該被検者に関するなんらの予備知識なく読影された場合、当時の一般臨床医の医療水準を前提にすれば、右異常を発見できない可能性の方が高いと認められる。
そして、定期健康診断は、一定の病気の発見を目的とする検診や何らかの疾患があると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査とは異なり、企業等に所属する多数の者を対象にして異常の有無を確認するために実施されるものであり、したがって、そこにおいて撮影された大量のレントゲン写真を短時間に読影するものであることを考慮すれば、その中から異常の有無を識別するために医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界があるというべきである。
そうすると、被告乙山の経歴、経験等を前提にしても、同被告が、昭和61年9月のレントゲン写真につき「異常なし」と診断したことに、過失を認めることはできない。
二 被告丙川の過失について
1 昭和62年6月の診断について
(一) (証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告丙川は、昭和62年6月17日の定期健康診断の際、花子に対し、提出されていた総合問診表(以下「問診表」という。)に従って問診及び聴診を行った。
まず、問診表には、「受診の動機」として「会社の制度」に、「受診の目的」として「まず健康であるが、念のため健康診断を受ける」に丸がつけられ、「健康上気になっている事柄」としては「最近、肩こりに悩まされている」との記載があった。家族歴に、癌はなかった。既往症については、アキレス腱断絶で手術をしたこととアレルギー以外特記すべきことはなかった。
生活状況については、たばこは吸わず、体重減少などの変動はないが、肉体的易痰労感を訴えていた。
健康管理の状況については、ツベルクリンはBCG陽転で、過去の検診で異常はなかったとのことであった。
問診表の呼吸器系に関する事項においては、胸及び背中の痛みがあるとする外は、「『ぜんそく』があるか」「しじゅう『せき』になやむか」「『たん』がよくでるか」「『たん』はよく切れるか」「『血たん』が出ることがあるか」「『たん』に悪臭があるか」等の問いに対し、いずれも否定する回答であった。胸及び背中の痛みについては、肩こりと右前胸部の痛みで整形外科の診療を受けているとのことであり、右肩に皮膚炎の跡があったが消炎剤を貼った跡であることがわかった。
心臓血管系に関する事項においては、息苦しさと胸がしめつけられるような痛みの訴えがあったので、状態を質問したところ、3日前に1回、10ないし20秒くらいの痛みがあったということだったので、心電図を見たが異常はなく、狭心症等の疑いは持たなかった。
泌尿器系に関する事項においては、夜中に尿に起きるということであった。
血液に関する事項においては、めまいがするという訴えがあったので、質問したところ、立ちくらみがあるかないかということだった。
神経系に関する事項においては、「激しい頭痛が度々おこるか」「顔がほてったりのぼせたりすることがあるか」「しばしばめまいがするか」「歩くのに不自由を感じるか」という問いに対し、肯定する回答であった。
聴診上、異常は認められなかった。
(2) 被告丙川は、昭和62年6月24日、花子の定期健康診断の結果につき、血液検査等の結果を併せて総合判定を行った。
被告丙川は、まず、血液一般、血清、生化学及び尿検査については、血糖値以外に異常所見は認められず、夜尿等との問診結果と併せて、糖尿病精査のための糖負荷検査を指示することにした。
そして、胸部レントゲン写真では、右第2弓の軽度突出及び右横隔膜の挙上を認めたが、呼吸音が清明であること、咳、痰又は血痰がないこと、CRP、赤沈値、白血球数、LDR及び血算値等に異常がないこと、既往歴及び問診結果によるほぼ健康と認められる全身状態並びに花子の33歳という年齢等から判断して直ちに胸部精密検査を行う必要性を認めなかった。
(二) 他方、検乙第二号証の1及び鑑定の結果によれば、次の事実が認められる。昭和62年6月のレントゲン写真には、まず、右下肺野、縦隔寄りに小鶏卵大の8ツ頭状、心陰影第2弓と一部重なった、辺縁が比較的シャープな腫瘤様陰影が認められる。その上縁は第7後肋骨、下縁は第9後肋骨上部に達し、中心部に小指頭大の密度の濃い部分を包含するものである。そして、右第5肋骨付近の縦隔がなだらかに右方に突出している異常陰影の存在、右横隔膜の上縁が第9肋骨の上方にまで挙上していること、心陰影のシルエットサイン(心陰影第2弓の部位に接するか重なるもので、心陰影の密度に近いものが存在する場合心外縁は明瞭さを欠くことになるが、この現象をいう。)の存在も認められる。更に、右異常陰影から想定される疾患としては、肺癌、肺結核、肺炎及び胸部良性腫瘍であることが認められる。
そして、問診表による前記の諸情報を前提に、右レントゲン写真を読影した場合には、当時の一般臨床医の医療水準を前提として考えた場合、右下肺野の異常陰影には気づいて、要精査とすべきであることが認められる。
(三) そうすると、この時点で、右レントゲン写真の読影担当医師としては、被検者につき精密検査を受けさせるべきであって、右異常陰影の存在に気づきながらも、この点については精密検査を不要とした被告丙川の判断は、誤っていたものと認められる。
したがって、被告丙川が、この時点で、花子に対し、精密検査を指示しなかったことには過失があったものと認められる。
2 昭和62年7月の診断について
(一) (証拠略)の結果によれば、次の事実が認められる。
花子は、昭和62年7月14日、被告海上ビル診療所において糖負荷検査を受け、被告丙川による診察も受けたが、その際、被告丙川に対し、父親が糖尿病で療養中であること、身長が149cmで体重48kgであること、6月中旬ころから咳、痰が出て、痰の一部に血が混じることを訴えた。
被告丙川は、花子の胸肺部を聴診し異常はなかったが、咽頭に発赤が見られたため、レントゲン撮影を指示した。しかし、そのレントゲン所見は前回の所見と大差がなく、被告丙川は、上気道炎を第一に考え、咳・痰に対する消炎剤、去痰剤を処方し、経過観察とした。
(二) 他方、検乙第二号証の2及び鑑定の結果によれば、昭和62年7月のレントゲン写真でも、昭和62年6月のレントゲン写真とほぼ同じ腫瘤様の異常陰影(わずか異なる点は、腫瘤陰影の縦隔側と反対側、即ち肺野の側がやや外側に突出してきたこと、下縁の辺縁がやや不鮮明になったこと、腫瘤影に包含される小指頭大の密度の濃い部分が不明瞭になったことなど)の存在等が認められる。
そして、診察の際の前記花子の訴えと総合しても、右レントゲン写真を読影した場合には、当時の一般臨床医の医療水準を前提として考えた場合、やはり右下肺野の異常陰影には気づいて、肺癌、結核、肺炎等を考慮にいれた精密検査が行われるべきであることが認められる。
(三) そうすると、この時点で診察を行った医師としては、患者につき精密検査を受けさせるべきであって、上気道炎を第一に考え、咳・痰に対する消炎剤、去痰剤を処方し、経過観察とした被告丙川の判断は、誤っていたものと認められる。
したがって、被告丙川が、この時点で、花子に対し、精密検査を指示しなかったことには過失があったものと認められる。
三 被告丁谷の過失について
1 (証拠略)によれば、次の事実が認められる。
被告丁谷は、昭和62年7月27日、被告海上ビル診療所において、花子に対し、同月14日の糖負荷検査の結果、糖尿病であることを説明し、糖尿病に対する食事療法を指示した。
その後、被告丁谷の問診に対し、花子は、痰を伴った咳が出ること、時折発作的に咳が出ることを訴えた。
被告丁谷は、その際、被告丙川による同月14日のカルテの記載内容を読み、右訴之を聞いて、花子は気管支炎ではないかと考え、被告丙川による前回の処方では去痰剤が中心で、咳止め作用の薬があまり出ていなかったことから、咳止めを中心に処方を変え、経過を見ることにした。
2 他方、鑑定の結果によれば、被告丙川による昭和62年7月14日及び被告丁谷による同月27日の各カルテの記載内容を前提に患者の疾患を想定すると、糖尿病の他に、呼吸器疾患として感染性の疾患が存在することが疑われ、肺癌も考慮する余地があるが、糖尿病を持つものが易感染者であり、慢性若しくは亜急性に経過する感染性疾患を来し易いという思考の方が一般的で、血痰を伴う激しい咳という症状から直ちに肺癌を予想することは、一般医家としては、少なく、治療経過を見て次の段階で考えるものとして肺癌があるとするのが一般的であることが認められる。
3 そうすると、7月27日の時点で、被告丙川のカルテ及び花子の前記訴えから、直ちに肺癌を疑うことは困難であったといえ、その際、それまでの花子のレントゲン写真を取り出して見るか、又は新たにレントゲン写真を撮り直すべきであったとまでいうことはできない。
したがって、被告丁谷が、改めてレントゲン写真を見ることなく、気管支炎に対する処方をして経過を見るとした判断に過失があったということはできない。
四 被告丙川の過失行為と花子の死亡との因果関係
1 鑑定の結果によれば、昭和62年6月ないし7月の時点での花子の肺癌は、病期ステージVa以上に該当するものと推定され、手術が可能であったとしても30%以下の5年生存率となり、リンパ節転移の状況によっては更に延命は困難であり、手術不能の場合、最高の治療を行ったとしても50%生存期間を1年まで延命することは困難であること、遠隔転移が認められればW期症例となりそれ以上に延命は困難であることが認められる。
2 そして、昭和62年6月ないし7月の時点で花子の肺癌がリンパ節に転移していなかったとは断定できず、かえって、林証言によれば、たとえ同年6月ないし7月の時点で肺癌の疑いが認められたとしても、花子の予後に大差はなかったであろうことが窺われ、その時点で適切な処置をしていれば、現実の転帰に比べて相当期間(原告らの主張によれば最悪でも半年)の延命利益をもたらしたであろうと推認できる事情は見当たらない。
3 そうすると、被告丙川の昭和62年6月及び7月の各時点での前記過失により適切な処置がとられなかったために、花子の死亡時期を延ばすことができなかったという意味で、右過失と延命利益の喪失との間に相当因果関係があるとは認められない。
五 被告丙川の義務違反自体に基づく責任について
原告らは、そもそも医師は医療水準の如何にかかわらず緻密でかつ真摯かつ誠実な医療を尽くすべき注意義務を負っており、右義務に違反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときには、医師のその作為・不作為と患者に生じた結果との因果関係を問うことなく、医師はその不誠実な医療自体につき、これによって患者側に与えた精神的苦痛の慰謝に任ずる責があると主張する。
しかし、医師の作為・不作為(過失)と患者に生じた結果との間に相当因果関係が認められない以上、当該過失によって損害が発生したとはいえない理であって、この場合にまで損害賠償責任を肯定することは困難であると解せられる。
したがって、原告らの主張する不誠実な医療自体についての慰謝料という考え方は、採用の限りではない。
六 被告東京海上の安全配慮義務違反に基づく責任について
1 いわゆる安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものである。
そして、一般の企業において、その従業員に対する定期健康診断の実施は、労働契約ないし雇用契約関係の付随義務である安全配慮義務の履行の一環として位置づけられるものであるとしても、信義則上、一般医療水準に照らし相当と認められる程度の健康診断を実施し、あるいはこれを行い得る医療機関に委嘱すれば足りるのであって、右診断が明白に右水準を下回り、かつ、企業側がそれを知り又は知り得たというような事情がない限り、安全配慮義務の違反は認められないというべきである。
2 これを本件についてみると、被告東京海上において実施された昭和61年及び62年の各定期健康診断について、原告らの指摘する具体的事情を前提としても、これらが明白に一般医療水準を下回る場合に当たることを認めるに足りる証拠はないことから、被告東京海上につき、花子に対する安全配慮義務違反があったとは認められない。
7 結論
以上のとおりであるから、原告らの本件請求は、その余の主張について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する

東京地方裁判所民事第31部
   裁判長裁判官 萩尾 保繁
       裁判官 浦木 厚利
       裁判官 市川 智子