医療判例解説 第4号収録事例の判決文
冠状動脈バイパス手術後に腸管壊死となった患者に対する術後管理における過失の有無

【判決要旨】
 冠状動脈の狭窄および虚血性心疾患に罹患した患者に対し、被告病院が冠状動脈バイパス手術を実施した後、腸管壊死となり、開腹手術を施行したが患者が死亡した事案につき、
 一審福岡地裁は、バイパス手術で生じた血栓症、または塞栓症が引き金となって血流障害が生じ、下行結腸及びS状結腸の壊死により腹膜炎が発生したものとし、また担当医師は、患者に腸管壊死が発生している可能性が高いと診断し、直ちに開腹手術を実施する注意義務を怠った過失があるとして被告病院に損害賠償の支払いを命じた。
 被告病院控訴での二審福岡高裁では、腸管壊死全体の原因が血栓ないし塞栓かれん縮などによるものかの確定はできないとし、かつ、患者の負担の大きさを考慮し、開腹手術に慎重になり、一定時間を経過観察したことは必ずしも非難に値するものではないとし、一転して被告病院の過失を否定し、原告の賠償請求を棄却した。
 そして、最高裁第三小法廷では、一審福岡地裁判決とほぼ同様に、担当医師は腸管壊死の発生可能性を考え、直ちに開腹手術を実施して腸管壊死の切除を行うべき注意義務を怠った術後管理に過失があると認め、二審福岡高裁の判断は、判決に影響を及ぼす法令違反があるとして、再度審理を尽くすために高裁に差し戻すと判示した。

最高裁(三小) 平成18年4月18日判決
事件番号 平成16年(受)第1147号 損害賠償請求事件
(2審) 福岡高裁 平成16年2月17日判決
     事件番号 平成11年(ネ)第971号、平成12年(ネ)第283号
          損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件
(1審) 福岡地裁 平成11年10月21日判決
     事件番号 平成5年(ワ)第3317号 損害賠償請求事件

主   文
 原判決を破棄する。
 本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理   由
 上告代理人前田豊、同小宮和彦の上告受理申立て理由について
 1 本件は、太郎(以下「太郎」という。)が、乙山院長の開設していたY病院において冠状動脈バイパス手術(以下「本件手術」という。)を受けたところ、術後に腸管え死となって死亡したことから、太郎の相続人である上告人らが、同病院のA医師には腸管え死を疑って直ちに開腹手術を実施すべき注意義務を怠った過失があるなどと主張して、乙山院長の相続人である被上告人らに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。
 2 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
  (1) 太郎は、その冠状動脈に狭さくが認められたことから、平成3年2月22日(以下、日のみ記載するときは、いずれも平成3年2月である。)午前11時55分から午後6時30分まで、Y病院において本件手術を受けた。乙山院長から依頼を受けたB教授が執刀し、Y病院のA医師及びC医師が助手を務めた。本件手術には6時間35分を要したが、3本の冠状動脈のバイパス手術としては平均的な時間であった。術後の血圧、脈拍等のバイタルサインは落ち着いており、出血量も少なく、良好な経過をたどっていた。太郎は、同日午後7時15分、半覚せいの状態で手術室から集中治療室に搬入され、23日午前6時ころ覚せいし、特に異常もなく順調に経過した。
  (2) 血液ガス分析の結果におけるBE(塩基過剰)値のマイナス側への逸脱は、アシドーシス(酸血症)を示すものであり、マイナス2.5くらいまでは許容値であるが、マイナス5以上は高度のアシドーシスを示すものといえるところ、23日午後3時までのBE値は、マイナス0.2からプラス5.2までの間であった。
  (3) 太郎は、23日夕刻、腹痛を訴えたが、腹部所見では筋性防御はなく、腹部膨満は中等度であった。A医師は、この腹痛につき、人工呼吸器抜去後の痛みの訴えの程度としては、通常よりも強いという印象を持った。太郎は、午後8時ころ、鎮痛座薬インダシン50mgの投与を受けた。太郎は、午後10時ころ、深緑色有形便中等量を排せつしたが、潜血の量は多かった。そのころ、太郎の下腹部痛は少し和らいでいたが、胃痛があった。午後6時から午後10時までのBE値は、マイナス0.4からプラス2.4までの間であった。血液検査によれば、白血球数が1万5000個/μl前後と多く、また、じん機能の状況を示す尿素窒素が27mg/dl、クレアチニンが1.9mg/dlと高めであった。
  (4) 太郎は、24日午前0時ころから頻繁に腹痛を訴えるようになり、「何で。何で。」、「助けてどうしようもない。」、「きつい、きつい。」等と訴えた。A医師は、精神的不安によるところが大きいと考え、抗不安薬アタラックスPを筋肉注射した。太郎は、午前2時ころ、胃痛を訴え、しん吟を持続させており、また、午前2時30分ころにも、胃痛、腹痛を訴え、鎮痛剤ボルタレン座薬50mgが投与された。BE値は午前0時がマイナス4.8、午前2時46分がマイナス11.3であり、高度のアシドーシスを示していた。A医師は、アシドーシスの原因として急性じん不全、腸管え死を考えたが、よく分からず、様子を見ることとした。その後も腹痛が持続したことから、午前3時50分、より強力な鎮痛剤ペンタジン15mgが投与された。午前4時30分の血液検査によれば、白血球数が1万7200個/μlと多かった。早朝から太郎の腹痛の訴えが強くなったことから、付き添っていた上告人らは、A医師らに対し、腹痛について適切な治療をするよう強く要請した。
 午前5時ころ、抗不安薬セルシンが投与され、太郎は、傾眠傾向となったが、午前6時ころから7時ころまでの間、マスクを外す動作を繰り返し、つじつまの合わないことを話し、また、午前7時30分ころにも腹痛を訴えた。BE値は午前5時30分がマイナス16.6、午前6時30分がマイナス15.2、午前7時30分がマイナス16.0であり、いずれも高度のアシドーシスを示すものであった。これを補正するために、メイロンが午前5時30分に80ml、午前6時30分に50ml、午前7時30分に100ml投与されたが、改善されなかった。血液検査によれば、白血球数が1万6600個/μlと多く、肝機能の状況を示すGOT、GPTがいずれも1000IU/l以上と非常に高く、また、尿素窒素が44mg/dl、クレアチニンが2.8mg/dlと高かった。
  (5) A医師は、24日午前8時までの間に、アシドーシス、肝機能障害、じん機能障害が認められたので、腸閉そくと判断した。そして、腸閉そくの原因は、上腸間膜動脈血栓症、虚血性腸炎、麻ひ性腸閉そくと想定し、腸閉そくの治療を行うべきであると判断し、循環血しょう量を増やすとともに、腸管のぜん動こう進薬を使用して、腸のぜん動を促す治療を行った。また、常に試験開腹を考えておくべきであると判断した。午前8時ころ撮影のレントゲン写真によれば、腸閉そく像が認められ、ガスが多い状態であった。午前8時ころから9時ころまでの間、意思疎通はなく、腸管ぜん動音はなかった。午前9時ころから10時ころまでの間、太郎は独り言を言い、しん吟した。午前9時40分のBE値はマイナス15.1であり、メイロン100mlが投与された。午前11時から正午ころまでの間、太郎は意味不明なことを話した。午前11時15分のBE値はマイナス14.3であり、メイロン50mlが投与された。正午から午後1時ころまでの間は傾眠傾向にあり、つめの色は不良であった。午後1時のBE値はマイナス15.2であり、メイロン100mlが投与された。午後2時40分のBE値はマイナス12.5であった。
  (6) その後、血液の酸素分圧が上がらず、不穏状態であり、投薬にもかかわらず、意識レベルが少しずつ落ちてきて、アシドーシスを補正するための治療を施しても、それが改善されず、全身状態が悪化していった。そこで、A医師は、人工呼吸器により呼吸を補助するために挿管をした。その後、尿量が低下したため、利尿剤が使用されたが、改善されず、じん機能が低下した。A医師は、腹部所見は乏しかったが、アシドーシスが改善されなかったため、やはり上腸間膜動脈血栓症が最も疑われると判断し、同僚医師と相談の上、開腹手術を行うこととし、24日午後3時又は4時ころ、電話で執刀医であったB教授に連絡をとった。BE値は、午後3時30分がマイナス14.4、午後5時15分がマイナス12.7であった。午後6時過ぎころ、B教授がY病院に到着し、同教授とA医師が上告人らに開腹手術の説明をしたところ、上告人X1は手術承諾書への署名をいったんは拒んだが、最終的には署名した。
  (7) 太郎は、24日午後7時20分ころ、手術室に搬入され、小腸、大腸部分切除、胆のう摘出、人工肛門造設の手術を受けた。手術時の所見では、腹こう内に腹水が多量にあり、大腸には広範なえ死が認められ、特に下行結腸からS状結腸にかけての部分のえ死が最も高度であった。小腸には末端から20pの部分から2.3mにわたりえ死が散在していた。胆のうにもえ死があり、胆のうせん孔によるはん発性腹膜炎が認められた。肝臓、大腸や小腸等のすべての腹内臓器に虚血の所見があった。広範な大腸のえ死部は切除され、横行結腸の健常部分も腸の色としてはきれいなものではなかったため、S状結腸とつなぐことはできず、人工肛門とされた。え死が散在していた小腸の2.3mにわたる部分も切除され、胆のうも摘出された。手術は午後11時25分に終了し、太郎は25日午前0時に手術室から搬出された。
  (8) 太郎には、本件手術後の合併症として、何らかの原因で下腸間膜動脈に虚血が生じ、これにより下行結腸及びS状結腸部分を中心に広範な腸管え死が生じ、更に小腸の散在性のえ死や横行結腸、胆のう及び肝臓の虚血も生じ、腹内臓器全体に虚血状態が生ずるに至ったものであるが、腸管え死全体の発生の機序の詳細は明らかではない。
  (9) A医師らは、引き続き集中管理体制で治療に当たったが、太郎の意識は回復せず、急性じん不全、急性心不全を来し、太郎は25日午後0時55分に死亡した。
  (10) 平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見は次のとおりである。腹痛が常時存在し、これが増強するとともに、高度のアシドーシスが進行し、腸閉そくの症状が顕著になり、腸管のぜん動運動を促進する薬剤を投与するなどしても改善がなければ、腸管え死の発生が高い確率で考えられる。腸管え死の場合には、直ちに開腹手術を実施し、え死部分を切除しなければ、救命の余地はない。え死部分を切除した時点で、他の臓器の機能がある程度維持されていれば、救命の可能性があるが、他の臓器の機能全体が既に低下していれば、救命は困難である。このことは、鑑定人G(神戸大学医学部教授)の指摘するところでもある。
  (11) なお、開心術後の合併症としての腸管え死は、予後が悪く、死亡率が極めて高く、腸間膜動脈閉そく症例においては、発症後早期の段階で開腹手術を実施した場合とそうでない場合とで救命率に有意な差がないという報告例があった。また、平成3年当時の臨床の現場においては、開腹手術の適応及びその時期の判断は極めて困難であるとされ、一般的には、開心術後の患者の安定度は低く、術後間もない時点で開腹手術を実施することはちゅうちょされる状況にあった。
 3 原審は、上記事実関係の下において、当時の太郎の症状等からして、開腹手術の実施は太郎の身体にとって過度の負担となり、危険を伴うので、その実施に慎重になり、その適否と時期を見定めるために経過を観察することは、臨床医学の見地からして、必ずしも非難に値するものとはいえず、遅くとも24日午前8時ころまでに同手術を実施すべきであったということは、極めて困難な判断を強いるものであるなどとした上で、平成3年当時の医療水準に照らすと、A医師に術後の管理を怠った過失があるということはできないとして、上告人らの請求を棄却した。
 4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
  (1) 前記事実関係によれば、平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては、腹痛が常時存在し、これが増強するとともに、高度のアシドーシスが進行し、腸閉そくの症状が顕著になり、腸管のぜん動運動を促進する薬剤を投与するなどしても改善がなければ、腸管え死の発生が高い確率で考えられていたというのである。そして、更に前記事実関係によれば、@太郎は23日夕刻ころから強い腹痛を訴えるようになり、24日午前0時ころからは頻繁に強い腹痛を訴えるようになった、A同日午前2時30分ころ鎮痛剤が投与されたものの、腹痛が改善せず、午前3時50分にはより強力な鎮痛剤が投与されたにもかかわらず、腹痛は強くなった、BBE値は、同日午前0時には許容値を超え、午前2時46分には高度のアシドーシスを示すようになり、午前5時30分からは補正のために断続的にメイロンが投与されたにもかかわらず、改善されなかった、C同日午前8時ころ撮影のレントゲン写真によれば、腸閉そく像が認められ、ガスが多い状態であった、D同日午前8時までの間に腸管のぜん動こう進薬が投与されたにもかかわらず、腸管ぜん動音はなかったなどというのである。
 そうすると、太郎の術後を管理する医師としては、腸管え死が発生している可能性を否定できるような特段の事情が認められる場合でない限り、同日午前8時ころまでには、腸管え死が発生している可能性が高いと診断すべきであったというべきであり、G鑑定人も同旨の指摘をしていることが記録上明らかである。
 そして、前記事実関係によれば、太郎には、強い腹痛が続き、高度のアシドーシスを示すようになり、A医師自身、24日午前2時46分の時点では腸管え死を疑っていたというのであるから、アシドーシスが開心術後にしばしば見られるものであること、腹膜炎の典型的症状である筋性防御を認めないなど腹部所見が乏しかったこと、開心術後の合併症として腸管え死が発生することはまれであることなど原審が掲げる各事実があるとしても、これをもって、腸管え死が発生している可能性を否定できるような特段の事情があったということはできず、その他、前記事実関係の下で、前記特段の事情があったことはうかがわれない。
 したがって、A医師は、上記診断義務を免れることはできない。
  (2) そこで、24日午前8時ころまでに、腸管え死が発生している可能性が高いと診断した場合、太郎の術後を管理する医師として、どのような措置を執るべきであったかについて検討する。
 前記事実関係によれば、平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては、腸管え死の場合には、直ちに開腹手術を実施し、え死部分を切除しなければ、救命の余地はなく、さらに、え死部分を切除した時点で、他の臓器の機能がある程度維持されていれば、救命の可能性があるが、他の臓器の機能全体が既に低下していれば、救命は困難であるとされていたというのであるから、開腹手術の実施によってかえって生命の危険が高まるために同手術の実施を避けることが相当といえるような特段の事情が認められる場合でない限り、太郎の術後を管理する医師としては、腸管え死が発生している可能性が高いと診断した段階で、確定診断に至らなくても、直ちに開腹手術を実施すべきであり、さらに、開腹手術によって腸管え死が確認された場合には、直ちにえ死部分を切除すべきであったというべきであり、G鑑定人も同旨の指摘をしていることが記録上明らかである。
 そして、前記事実関係によれば、太郎の術後のバイタルサインは落ち着いており、出血量も少なく、良好に経過していたというのであり、24日午前8時ころの時点では、太郎の症状は次第に悪化していたとはいっても、太郎の症状が更に悪化した同日午後7時20分には開腹手術が実施されているのであるから、開腹手術の実施によってかえって生命の危険が高まるために同手術の実施を避けることが相当といえるような特段の事情があったとは考えられず、太郎の肝機能やじん機能が低下していたことなど原審が掲げる事実は、上記特段の事情には当たらないというべきである。したがって、A医師は、上記開腹手術実施義務を免れることはできない。
 なお、原審は、前記のとおり、開心術後の合併症としての腸管え死は、予後が悪く、死亡率が極めて高く、腸間膜動脈閉そく症例においては、発症後早期の段階で開腹手術を実施した場合とそうでない場合とで救命率に有意な差がないという報告例があること、平成3年当時の臨床の現場においては、開腹手術の適応及びその時期の判断は極めて困難であるとされ、一般的には、開心術後の患者の安定度は低く、術後間もない時点で開腹手術を実施することはちゅうちょされる状況にあったこと等の事実も認定している。しかし、@平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては、え死部分を切除した時点で、他の臓器の機能がある程度維持されていれば、救命の可能性があるとされていたことは前記のとおりであり、A太郎の腸管え死が上記報告例で取り上げられている腸間膜動脈閉そく症例であるとは判明していないし、B24日午前8時ころは、本件手術の術後既に36時間余りが経過した時点であり、その間太郎の症状は次第に悪化しており、経過観察を続ければ症状の改善を見込める状態にあったとはいえないことは前記事実関係から明らかであるから、上記認定事実は、前記判断を左右するものではない。
  (3) そうすると、A医師は、24日午前8時ころまでに、太郎について、腸管え死が発生している可能性が高いと診断した上で、直ちに開腹手術を実施し、腸管にえ死部分があればこれを切除すべき注意義務があったのにこれを怠り、対症療法を行っただけで、経過観察を続けたのであるから、同医師の術後管理には過失があるというべきである。これと異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由がある。
 5 以上によれば、原判決は破棄を免れない。そして、A医師の上記注意義務違反と太郎の死亡との間の因果関係の有無等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第三小法廷
 裁判長裁判官 藤田 宙靖
     裁判官 濱田 邦夫
     裁判官 上田 豊三
     裁判官 堀籠 幸男

<当事者目録>(略)


【参考・2審判決】

(高裁判決)
福岡高裁 平成16年2月17日判決
事件番号 平成11年(ネ)第971号、平成12年(ネ)第283号

主   文
 1 控訴人らの控訴に基づき、原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
 2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
 3 本件附帯控訴をいずれも棄却する。
 4 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 控訴人ら
 (1)原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
 (2) 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
 (3) 本件附帯控訴をいずれも棄却する。
 (4) 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
 (5) 仮執行免脱宣言
 2 被控訴人ら
 (1) 原判決を次のとおり変更する。
 控訴人乙山東子は、被控訴人ら各自に対し、2378万1422円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、控訴人乙山西雄、同乙山南彦及び同乙山北人は各自、被控訴人らそれぞれに対し、各792万7140円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 (2) 控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。
 (3) 訴訟費用は、第1、2審とも控訴人らの負担とする。
 (4) 仮執行宣言
第2 事案の概要
 1 本件事案の概要は、次項に当事者の主張を補充するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の項に記載のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決14頁末行の「15.2」を「マイナス15.2」と改める。なお、略称についても原判決の表示に従う。)。
 2 当事者の主張の補充
 (1) 控訴人ら
  ア (腸管壊死の原因について)
 亡太郎の本件バイパス手術後の消化器疾患(腸管壊死)は、下腸間膜動脈血栓症ないし塞栓症によるものではなく、非閉塞性腸管虚血によるものである。
  イ (手術後の管理に関する過失の有無ないし因果関係について)
 開心術後の合併症としての消化器疾患、特に腸管壊死は極めてまれであることに加え、その救命の可能性はほとんどないから、A医師に過失ないし注意義務違反はなく、A医師の行為と亡太郎の死亡との間に因果関係は認められない。
 (2) 被控訴人ら(損害について)
 亡太郎の逸失利益を認定するに当たっては、アシドーシスの高度の異常所見が判明した平成3年2月24日午前2時46分ころ以後の早い時点において腹部単純エックス線検査等を行い、その上で開腹手術をすべきであったことを前提にすべきであり、その時点で開腹手術を行った場合には、亡太郎には十分な労働能力の回復を見込めたものと考えられるから、原判決のように死亡による逸失利益を減額すべき理由はないというべきである。

第3 当裁判所の判断
 1 本件バイパス手術の適応について
 原判決「事実及び理由」欄の「第3争点に対する判断」の一項(35頁7行目冒頭から38頁10行目末尾まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
 2 本件バイパス手術に際しての説明義務について
 原判決「事実及び理由」欄の「第3 争点に対する判断」の二項(38頁12行目冒頭から40頁11行目末尾まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
 3 腸管壊死の原因について
 (1) 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
  ア 腸間膜血管閉塞症の発症の原因、病態生理、程度は様々である。急性腸間膜動脈閉塞症は、動脈硬化のアテローム変性に基づく血栓によることが多く、心疾患等による塞栓も一因となり、その場合は、速やかに支配領域の腸管の血行障害を起こし、広い範囲が壊死に陥り、短時間のうちに重篤な症状を来し、特異的臨床症状がなく、激痛の根拠が判然としないので、早期診断は困難なことが多い。また、非閉塞性による臓器虚血は、長時間の体外循環時間を要した場合や、胸部大動脈の鉗子による遮断例、術後のショック発生例にみられる。
 腸管の阻血では、24時間が不可逆性の変化を起こす限度とされているが、閉塞の部位・範囲、側副血行、腸内容物の有無等が腸管壊死の進行に関係するので、その限度は決定的なものではない。
  イ 下腸間膜動脈は、下行結腸及びS状結腸の支配動脈であり、上腸間膜動脈と比べて側副血行が豊富である。
  ウ 本件開腹手術時、下行結腸及びS状結腸に壊死があり、小腸は粘膜上皮に部分的に変性がみられ、うっ血炎症、浮腫を伴い、また粘膜下層の血管の拡張、充血があったが、血栓の形成はみられなかった。大腸は、粘膜上皮はシャドウ化し、浮腫、円形細胞浸潤を伴う粘膜下層の大小の血管及び腸間膜内の血管は拡張し、充血、うっ血がみられた。また、散在性に器質化傾向を伴い、フィブリン付着を伴う血栓の形成が散在性にみられた。
  エ 胆のうが穿孔して胆汁が流れ出し、腹膜炎が発症したのは、本件開腹手術の直前であった。
 (2) 引用した原判決摘示の争いのない事実等及び上記(1)に認定の各事実によれば、亡太郎には、本件バイパス手術後の合併症として、何らかの原因で下腸間膜動脈に虚血が生じて、これにより下行結腸及びS字結腸部分を中心に広範な腸管壊死を生じ、さらに小腸の散在性の壊死や、横行結腸、胆のう、肝臓の虚血も発生して、腹内臓器全体に虚血状態が生じるに至ったものというべきであるが(腹膜炎の発症及びその時期については、上記(1)エのとおりである。)、その原因が閉塞性のものか非閉塞性のものかあるいはその複合かを含め、その腸管壊死全体の発生の機序の詳細は必ずしも明らかでなく、これを確定する資料はないといわざるを得ない。
 (3) この点に関し、被控訴人らは、亡太郎の腸管壊死は、閉塞性の下腸間膜動脈血栓症もしくは塞栓症によるもので、これが引き金となって、下腸間膜動脈と末梢側で交通している上腸間膜動脈や腹腔動脈の中枢側にその影響が波及して生じたものである旨主張し、これと同趣旨の医師の意見書(以下「丙川意見書」)を提出し、他方、控訴人らは、亡太郎の腸管壊死は、閉塞性のものではなく、非閉塞性の腸管虚血によるものである旨主張して、これと同趣旨の医師の意見書(以下「丁海意見書」)を提出する。
 確かに、本件開腹手術の手術実施記録の病名欄及び「REPORT OF OPERATION」の術後診断の欄には、いずれも下腸間膜動脈血栓症である旨の記載があり、本件開腹手術時、緒方医師は、下腸間膜動脈に触れたところ、拍動がなく、下腸間膜動脈のうち腹部大動脈からの付け根の部分辺りから血流がなかったものの、壊死の部分が広範囲で散在性のものであることからすると、下腸間膜動脈血栓症という診断名のみで亡太郎の腸管壊死全体の症状の説明ができるものではない。また、本件開腹手術後、アシドーシスは改善され、本件開腹手術により壊死部分を除去した後の健常部分に壊死は発生しなかったものの、これらが非閉塞性の腸管虚血を直ちに否定し得るものではなく、むしろ、原判決に説示のとおり、本件バイパス手術においては、151分間という長時間にわたる血液の体外循環を要したことや、上記のとおり、本件開腹手術時の所見では、特定の血管閉塞では必ずしも説明ができない病変が広範囲に広がっていることなどからすると、非閉塞性の腸管虚血が生じた可能性を一概に否定することはできないというべきである。
 しかし他方、下腸間膜動脈の支配領域の腸管の壊死が発生したことによって小腸及びその周辺の臓器を支配する血管が攣縮を起こすことはあり得ることである。さらに、本件バイパス手術時に抗凝固剤を投与していたことについても、一般にはその血栓の形成を予防する効果はあるものの、なお、その具体的状況においては血管に血栓症、塞栓症が生じることはあり得ると考えられる。
 これらを総合すると、結局、下行結腸及びS字結腸部分を中心に広範な腸管壊死を生じている部分については、その程度からして、下腸間膜動脈の血栓ないし塞栓が原因の少なくとも一部となった可能性は高いと考えられるものの、なお、亡太郎の腸管壊死全体の原因が血栓ないし塞栓かれん縮などによるものかの確定はできないといわざるを得ず、少なくともその一部のみがその原因のすべてであるということはできないというべきである。
 4 本件バイパス手術後の管理に関する過失の有無について
 (1) 一般に、腸間膜動脈閉塞症が疑われる場合の医師の採るべき措置、イレウスの症状と診察方法及び腸管壊死の鑑別と救命方法等については、原判決45頁10行目から49頁6行目までに記載のとおりである。
 (2) 被控訴人らは、A医師は、亡太郎に腸間膜動脈閉塞症が疑われたのであるから、遅くとも平成3年2月24日午前8時ころには亡太郎の開腹手術に踏み切るべきであり、少なくとも血管造影検査等を行ってその時期を逸しないよう努力すべきであったのに、これを怠った過失がある旨主張するところ、原判決摘示の争いのない事実等及び上記認定の各事実に加え、証拠(略)によれば、次の各事実を認めることができる。
  ア A医師は、平成3年2月24日午前8時ころには、当時亡太郎に現れていた症状やアシドーシスの進行度合い及びその他の検査結果等から、亡太郎に腸閉塞が生じていると判断し、その原因として、上腸間膜動脈血栓症、虚血性腸炎、麻痺性イレウスを疑い、場合により試験開腹の必要性を想定していた。
  イ 亡太郎は、上記アの時点では、本件バイパス手術が終了して36時間余りが経過していたに過ぎない段階で集中治療室で術後管理中であった者であり、軽い心不全や肝機能及び腎機能の低下などを含め、全身状態が悪く、腹部血管造影検査やCT及びMRIの各検査を容易に行える状態にもなかった一方、腹膜炎における典型的症状である筋性防御を認めないなど、腹部所見が乏しかった。
  ウ ー般に、代謝性アシドーシスの原因は腸管壊死に限られるものではなく、その原因としての臓器障害等は多岐にわたるもので、その程度はともかく、本件バイパス手術のような開心術後においてはしばしば見られるものである。
  エ 本件バイパス手術は、開腹手術のように腹部に直接侵襲を伴うものではなく、心疾患に対し心臓自体に侵襲を加えるもの(開心術)であり、その合併症として留意すべき主なものとしては冠動脈スパスム、周術期心筋梗塞、低心拍出量症侯群、不整脈等の循環系の異常等がある。
  オ 開心術後の合併症としての消化器疾患の頻度は高くなく、その疾患も致死性のものはまれで、そのうちでも、腸管壊死についてはその報告例も乏しく、その発症の頻度は極めて低い。また、腸管壊死が生じる部位についても、他の栄養供給動脈の有無の違いなどから、下腸間膜動脈の支配領域(下行結腸やS状結腸を含む大腸など)よりも上腸間膜動脈の支配領域(小腸など)の方が生じやすく、下腸間膜動脈の虚血による腸管壊死は極めてまれである。
  カ 開心術後の合併症としての腸管壊死については、その予後は悪く、その死亡率が極めて高い上、一般に、腸間膜動脈閉塞症例において、発症後早期の段階で開腹手術を行った場合とそうでない場合とでその救命率に有意な差がないという報告例もある。
  キ 救命のための開腹手術の適応及びその時期についての判断は臨床の現場にいても極めて困難であるとされており、平成3年当時においては、現在に比較すると、開心術後の患者の安定度は低く、開心術後間もない時点で開腹手術を行うことは、躊躇される状況であった。
  ク 本件のような事例において開腹手術を行うとの判断をした場合にも、その要員や設備の準備及び患者の搬送等を経て、実際に手術を開始することができるまでには、数時間を要する。
  ケ A医師は、同日午前中に亡太郎の家族に開腹手術が必要となる可能性を説明したものの、その承諾を得ることができず、B教授による説明によって、最終的には本件開腹手術の承諾書に署名を得た。
 (3) 上記(1)の一般論と併せて、開心術後間もない時期であることに伴う諸事情や、開心術によって生じる合併症として腸管虚血が生じる頻度など、本件に特有の事情を含んだ上記(2)の諸事実を前提として過失ないし注意義務違反の有無を検討するに、A医師は、平成3年2月24日午前8時ころには、亡太郎の腹痛等の症状の原因の1つとして上腸間膜動脈血栓症を疑い、その後の代謝性アシドーシスを含め全身状況の悪化から、もっとも可能性の高い原因として上腸間膜動脈血栓症を想定したものの、なお、その原因が上腸間膜動脈血栓症等であるとの確定診断には至らない上、当時の亡太郎の症状等からして、直ちに開腹手術を行うことも亡太郎の身体にとって過度の負担となり危険を伴うことであることから、開腹手術の必要性を念頭に置きながらも、他のi医師との連絡や意見交換を行いつつ、亡太郎への治療及びその臨床症状の注視を続けたなかで、その間の亡太郎の症状の悪化の重篤さ等から判断して、最終的に、同日夕刻、本件開腹手術を行うことを決め、直ちにその準備を始めて、同日午後7時20分(亡太郎の症状の原因の1つとして上腸間膜動脈血栓症を疑った午前8時からして12時間以内、腹痛等が顕著となった同日午前零時からしても20時間以内)には本件開腹手術を開始しているのである。
 しかし、上記のとおり、実際には、その間、その時間的経過ないし発生の機序については明らかではないものの、亡太郎には主として下腸間膜動脈の虚血を原因とする腸管壊死が生じていたものである。
 そうすると、本件において、担当医師が開腹手術の亡太郎に対する負担の大きさをも考慮してその施術に慎重になり直ちに開腹手術を行わず、開腹手術の適否とその時期を見定めるために一定の時間その経過を観察することは、臨床医学の見地からしても必ずしも非難に値するものとはいえず、本件の具体的な状況に照らすと、遅くとも平成3年2月24日午前8時ころには必ず亡太郎の開腹手術に踏み切るべきであったということは、担当医師に極めて困難な判断を強いるものというべきである。また、同時期に血管造影検査等を行うことについても、亡太郎の症状からして困難であったことは、丁海意見書及び丙川意見書によっても認められるところである。これらに加え、上記認定の家族への説明やB教授への連絡及び準備のために手順と時間を要する事情があったこと等を併せ考えると、上記以外にその治療方法等に格別の問題があったということができない。
 本件においては、平成3年当時の医療水準に照らし、上記のA医師の行為をもって、被控訴人らが主張する本件バイパス手術後の管理に関する各過失ないし注意義務違反に該当するということはできず、他にA医師の過失ないし注意義務違反を基礎付ける事実を認めるに足りる証拠はない。
 なお、亡太郎に生じた上記腸管虚血が、非閉塞性ないし閉塞性のいずれのものであるかの問題は、上記のとおりの本件開腹手術前の所見等からしても両者を区別して判断することは困難であったといえることからすると、亡太郎の死亡とA医師の行為との相当因果関係の判断においてはともかく、A医師の開腹手術を遅らせた過失ないし注意義務違反の有無の判断においては、特段の意味を有しないものというべきである。
 (4) この点に関し、被控訴人らは、A医師としては、激しい腹痛の訴えと重度の代謝性アシドーシスの所見があったのであるから、遅くとも同日午前8時ころには開腹手術をすべきであったということができ、同医師は、本件開腹手術を逡巡し、同日夕刻まで漫然と手術を遅らせたものであるから、同医師には過失ないし注意義務違反があるというべきであると主張し、原審鑑定結果においても、強度の腹痛に加えて、アシドーシスがマイナス10以上にも進行し、かつイレウス症状が顕著になった時点では、心臓の手術後といえども開腹手術を行うべきであるとの趣旨の部分があり、また、丙川意見書中にも、腸管虚血を合併した心臓手術の予後は極めて不良であり、早期に開腹手術をすることが救命の唯一の手段であるとの趣旨の記載部分があり、いずれも同日午前8時ころには開腹手術をすべきであったとしている部分がある。
 しかしながら、原審鑑定結果及び原審証人F教授の証言中にも、心臓手術後の急性腹症の診断は、症例ごとに条件が大幅に異なっているため特に困難なものであり、本症例救命への道は非常に困難で、救命できるとすれば腸管壊死に移行する前に先手を打って対処しておくことであるが、この適切な時期の評価は実際臨床の現場にいても困難であったと指摘されていることや、他方で、前記のような亡太郎の全身状態から推して確定診断を得るための諸検査の機会ないし適応もなく、かつ開腹手術を行った場合の予後についての予測がつけ難い状況にあったことをも考え併せると、上記鑑定結果及び丙川意見書の記載のうちその開腹手術を決断すべき時期については、直ちにこれを採用することはできないといわざるを得ないから、被控訴人らの上記主張は理由がない。
 また、被控訴人らは、腸管が壊死したら、開腹して切除するしか救命方法がないのであるから、開心術後の合併症としての腸管壊死の発症がまれであることや救命率が低いことは、いずれも開腹手術を遅らせる理由にはならない旨主張する。
 しかしながら、開心術後の管理において、患者の症状に対し、その原因について確定判断を得られるような状況にない場合、合併症としての頻度やその救命率に差があれば、このことが治療方針を選択するに当たっての前提として考慮されるべき要素の1つとなることは当然であって、開腹手術を行うか否かの判断においても、これを行うことによるメリットとデメリットを比較する前提として、腸管壊死の発症頻度及び救命率が念頭に置かれるべきであり、このことが医師の過失ないし注意義務違反の判断に影響することは明らかであるから、被控訴人らの上記主張は、必ずしも的を射たものとはいえない。
 さらに、被控訴人らは、開心術後の合併症としての腸管壊死の発症の頻度は極めて低く、これによる死亡率は極めて高いとの内容の丁海意見書について、その根拠が薄弱である旨を他の報告例等を援用しつつ批判するが、開心術後の合併症としての腸管壊死に限定しない一般の腸管虚血症例についてはともかく、開心術後の合併症としての腸管壊死についていえば、丁海意見書の根拠となっている文献ないし報告例の分析等に特段の問題点を見い出すことはできない上、証拠(略)によれば、本件バイパス手術及び本件開腹手術に関与した各医師を初め、いずれも相当数の開心術とその後の管理の臨床経験を有する原審における鑑定人であるF教授や丁海意見書の作成者である田林皓一教授においても、開心術後の合併症としての腸管壊死の症例を経験したことがないことが認められることも併せると、この点に関する被控訴人らの上記主張も採用することができない。
 (5) そうすると、結局、亡太郎の死亡の原因である腸管壊死について、これがA医師の本件バイパス手術後の管理に関する過失ないし注意義務違反によるものであることを前提とする亡一雄の不法行為ないし債務不履行責任に関する被控訴人らの主張は、いずれも理由がないといわざるを得ない。
 5 結論
 以上のとおりであるから、その余の点を判断するまでもなく、被控訴人らの本件請求はいずれも理由がなく、これと結論を異にする原判決は不当であるから、控訴人らの本件控訴に基づいて控訴人ら敗訴部分を取り消した上で、被控訴人らの本件請求をいずれも棄却し、被控訴人らの附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

 福岡高等裁判所第五民事部
     裁判長裁判官 湯地紘一郎
        裁判官 岩木 宰
        裁判官 坂田千絵


【参考・1審判決】
福岡地裁 平成11年10月21日判決
事件番号 平成5年(ワ)第3317号 損害賠償請求事件

主   文
 1 被告乙山東子は、原告甲野春子に対し、金1139万4740円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、原告甲野夏江に対し、金1139万4740円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
 2 被告乙山西雄は、原告甲野春子に対し、金379万8246円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、原告甲野夏江に対し、金379万8246円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
 3 被告乙山南彦は、原告甲野春子に対し、金379万8246円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、原告甲野夏江に対し、金379万8246円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
 4 被告乙山北人は、原告甲野春子に対し、金379万8246円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、原告甲野夏江に対し、金379万8246円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。
 5 原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
 6 訴訟費用はこれを2分し、その1を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
 7 この判決の第1項ないし第4項は、いずれも仮に執行することができる。ただし、被告乙山東子が原告甲野春子に対し金900万円、原告甲野夏江に対し金900万円の担保を供するときは、右第1項の仮執行を免れることができ、被告乙山西雄が原告甲野春子に対し金300万円、原告甲野夏江に対し金300万円の担保を供するときは、右第2項の仮執行を免れることができ、被告乙山南彦が原告甲野春子に対し金300万円、原告甲野夏江に対し金300万円の担保を供するときは、右第3項の仮執行を免れることができ、被告乙山北人が原告甲野春子に対し金300万円、原告甲野夏江に対し金300万円の担保を供するときは、右第4項の仮執行を免れることができる。

事実及び理由
第1 請求
 被告乙山東子は、原告ら各自に対し、2378万1422円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を、被告乙山西雄、被告乙山南彦及び被告乙山北人は、いずれも原告ら各自に対し、それぞれ792万7140円及びこれに対する平成3年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要
 本件は、亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)が亡乙山次郎(以下「亡次郎」という。)経営の病院において冠状動脈バイパス手術を受けたところ、腸管壊死となり、開腹手術にもかかわらず死亡したことから、亡太郎の相続人である原告らが、亡次郎の履行補助者又は被用者である医師に術後管理を怠った等の過失があったとして、亡次郎の相続人である被告らに対し、債務不履行又は使用者責任による損害賠償請求をしている事案である。
 一 争いのない事実等
 以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は括弧内掲記の証拠により容易に認めることができる。
 1 当事者等
 (1)亡次郎は、福岡県<地番略>において病院(以下「被告病院」という。)を開設し、平成4年5月まで同病院を経営したが、平成6年7月23日死亡した。
 (2) 被告乙山東子(以下「被告東子」という。)は、亡次郎の妻、被告乙山西雄(以下「被告西雄」という。)、被告乙山南彦(以下「被告南彦」という。)及び被告乙山北人(以下「被告北人」という)は、いずれも亡次郎の子である。
 (3) 亡太郎(昭和5年1月2日生)は、株式会社Pの代表取締役をしていた者であり、平成3年2月25日死亡した。
 (4) 原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は、亡太郎の妻、原告甲野夏江(以下「原告夏江」という。)は、亡太郎の子である。
 2 亡太郎の冠状動脈バイパス手術に至る経緯
 (1) 亡太郎は、昭和58年3月24日急性心筋梗塞の発作を起こしてQ病院に入院し、その後、Z医院、W医院において通院による対症的な薬物療法を受けた。同医院には、平成2年3月から通院していたが、胸痛発作が頻発した。
 (2) そこで、亡太郎は、精密検査のため、W医院E医師の紹介により、平成3年1月28日から被告病院に入院し、諸検査を受けた。E医師作成の診療情報提供書の「主訴又は病名」には、虚血性心疾患(心筋梗塞)、狭心症、高脂血症、高尿酸血症、糖尿病が挙げられていた。
 (3) 被告病院においては、不安定狭心症、高脂血症、糖尿病、高尿酸血症の傷病名で治療、検査を開始した。
 平成3年1月30日に実施された冠状動脈造影検査の結果、右冠状動脈に4か所の90%の狭窄が認められ、左冠状動脈前下行枝にも75ないし90%の狭窄が認められた。また、同年2月2日に施行されたラジオアイソトープ検査の1つである負荷心筋シンチグラフィーを実施した結果、左室後下壁に部分的な心筋梗塞があると診断され、同月4日に施行されたトレッドミルテストにおいても、運動負荷による心筋虚血の徴候が認められた。
 右検査等の結果、被告病院医師A(以下「A医師」という。)は、冠状動脈バイパス手術の適応と判断した上、亡太郎に対し、右手術の必要性を説明し、右手術を受けるよう勧めた。
 平成3年2月20日、A医師は原告らに対し、冠状動脈バイパス手術の説明をした。亡太郎は、説明を聞くと怖くなるとの理由で右説明を受けることを拒否した。A医師は、心不全、出血・不整脈、肝・腎不全、中枢神経障害の危険性があるが、その危険性は3ないし4%であると説明した。
 (4) 亡太郎は、平成3年2月22日、被告病院において冠状動脈バイパス手術(以下「本件バイパス手術」という。)を受けた。
 同日午前10時30分手術室搬入、午前11時10分麻酔開始、午前11時55分執刀開始、午後6時30分手術終了、午後7時麻酔終了、手術室搬出という経過であった。大動脈遮断時間は1時間27分、体外循環時間は2時間31分、麻酔時間は7時間50分、手術時間は6時間35分であった。
 執刀医は、当時佐賀医科大学教授であったB(以下「B教授」という。)、助手はA医師、C医師(以下「C医師」という。)であった。なお、B教授は、亡次郎との契約に基づき本件バイパス手術を行った。A医師及びC医師は、いずれも亡次郎に雇用されていた。
 本件バイパス手術においては、3本の冠状動脈バイパスが行われ、手術時間は6時間35分を要したが、これは3本の冠状動脈のバイパス手術に要する時間としては平均的なものであった。人工心肺からの離脱については、大動脈を遮断解除した当初、少し心停止があり、不整脈があったため、
しばらく人工心肺で心臓の補助が行われたが、その他は本件バイパス手術において異常はみられなかった。
 3 本件バイパス手術後の経緯
 (一) 平成3年2月22日
 (1) 本件バイパス手術後の血圧、脈拍等のいわゆるバイタルサインは落ち着いており、出血量も少なく、良好な経過をたどっていた。
 (2) 亡太郎は、午後7時15分には半覚醒にて集中治療室に搬入された。
 (二) 平成3年2月23日
 (1) 亡太郎は、午前6時ころ覚醒し、昼ころまでは特に異常もなく順調に経過した。血液ガス分析の結果におけるBE(塩基過剰)値は、午前6時がプラス5.2、午前7時がプラス5.0、午前8時15分がプラス5.2、午前9時30分がプラス3.5、午前11時がプラス4.6、午後零時30分がマイナス0.2、午後1時30分がプラス1.1であった。BE値のマイナス側への逸脱はアシドーシス(酸血症)を示し、マイナス2.5位までは許容値であるが、マイナス5.0以上は高度のアシドーシスを示している。
 (2)午後3時ころ、胃チューブが抜去された。この時のBE値はプラス0.9であった。
 (3) 夕刻亡太郎は、腹痛を訴えた。診察の結果、腹部所見で筋性防御はなく、腹部膨満は中等度であった。この時の腹痛につき、A医師は人工呼吸器抜去後の痛みの訴えの程度としては、通常よりも強いという印象を持った。BE値については、午後6時がプラス2.4、午後7時15分がプラス1.6であった。
 (4) 午後8時ころ、鎮痛座薬インダシン50mgの投与を受けた。BE値はプラス0.7であった。
 (5) 午後10時ころ、亡太郎には、深緑色有形便中等量の排泄が認められ、潜血の量は多かった。そのころ下腹部痛の痛みは少しやわらいでいたが胃痛があった。このように腹痛の部位は一定していなかった。BE値はマイナス0.4であった。
 (6) 同日中に2回血液検査が行われた。右検査結果によると白血球数は1万5100と1万4800であった。また、同日中に行われた検査によれば、尿素窒素は27、クレアチニンは1.9であった。
 (三) 平成3年2月24日
 (1) 亡太郎は、午前零時ころから頻繁に腹痛を訴えるようになった。亡太郎は、「何で。何で。」、「助けてどうしようもない、」、「きつい、きつい。」等と訴えた。このころ、A医師は、右腹痛は精神的不安によるところが大きいと考え、抗不安薬アタラックスPを筋肉注射した。午前零時のBE値はマイナス4.8であった。
 (2) 午前2時ころ、亡太郎は、胃痛を訴え、呻吟(しんぎん=苦しみうめく)を持続させていた。午前2時30分ころ、亡太郎は、胃痛、腹痛を訴え、鎮痛剤ボルタレン座薬50mgが投与された。
 (3) 午前2時46分のBE値はマイナス11.3であり、高度のアシドーシスとなっていた。そのころ、A医師は、アシドーシスの原因として急性腎不全、腸管壊死を考えたが、よく分からず、様子を見ることとした。
 (4) その後も亡太郎の腹痛は持続し、午前3時50分、より強力な鎮痛剤ペンタジン15mgが投与された。
 (5) 午前4時30分の血液検査の結果によれば、白血球数は1万7200、血小板数は8万1000であった。
 (6) 早朝からは、亡太郎の腹痛の訴えが強くなり、同人に付き添っていた原告らは、A医師らに対し、腹痛への適切な治療をするよう強く要請した。
 (7) 午前5時ころ抗不安薬セルシンが投与され、傾眠傾向となったが、午前6時ころから午前7時ころまでの間、亡太郎には、傾眠中、マスクをはずす動作の繰り返しや辻褄の合わない発語がみられた。午前5時30分のBE値はマイナス16.6であり、メイロン80mlが投与された。午前6時30分のBE値は15.2であり、メイロン50mlが投与された。
 (8) 収縮時血圧については、午前4時までは100以上であったが、午前5時は87、午前6時は82、午前7時は81となり、以後1OO未満の数値で推移した。
 (9) 1分間当たりの呼吸数は、午前1時44、午前2時42、午前5時36、午前6時32、午前7時40であった。
 (10) 1分間当たりの脈拍数は、午前1時100、午前2時100、午前3時98、午前4時108、午前5時109、午前6時110、午前7時103であった。
 (11) 午前7時30分の血液検査によると、GOT、GPTの値がいずれも1OOO以上と非常に高く、白血球数は1万6600、血小板数は3万1000であり、尿素窒素は44、クレアチニンは2.8であった。BE値はマイナス16.0であり、メイロン100mlが投与された。このころも亡太郎は腹痛を訴えた。
 (12) その後、A医師は、午前8時までの間にアシドーシス、肝機能障害、腎機能障害が認められたので、腸閉塞であると判断した。そして、腸閉塞の原因として上腸間膜動脈血栓症、虚血性腸炎、麻痺性イレウスを想定し、イレウスの治療を行うべきであると判断し、循環血漿量を増やすとともに、パントール、プロスタグランディン製剤といった腸管の蠕動亢進薬を使用して腸の蠕動を促す治療を行った。また、常に試験開腹を考えておくべきであると判断した。
 (13) 午前8時ころから午前9時ころまでの間、意思疎通はなく、腸管蠕動音はなかった。午前8時ころ撮影のレントゲン写真の所見によれば、腸閉塞像が認められ、ガスが多い状態であった。午前9時ころから午前10時ころまでの間、亡太郎は独り言を言い呻吟した。午前9時40分のBE値はマイナス15.1であり、メイロン100mlが投与された。午前10時ころから午前11ころまでの間、脈拍は改善されなかった。午前11時ころから午後零時ころまでの間、意味不明な発語がみられた。チアノーゼはマイナスであった。午前11時15分のBE値はマイナス14.3、マイナス13.7であり、メイロン50mlが投与された。午後零時ころから午後1時ころまでの間、脈拍は1分間110で、傾眠傾向であり、爪甲色は不良であった。また午前8時ころ胃チューブが再挿入された。
 (14) 午後1時ころから午後2時ころまでの間、脈拍及び血圧のいずれもが低下し、午後1時の血圧は、収縮時70、拡張時40、BE値はマイナス15.2であり、メイロン100mlが投与された。そのころ、肺うっ血、腸管のガス像が著明に認められ、A医師は、午後1時35分ペーシングを開始した。午後2時40分のBE値はマイナス12.5であった。午後2時50分ころには再挿管がなされた。
 (15) その後、血液の酸素分圧が上がらず不穏状態であり、投薬にもかかわらず、意識レベルが少しずつ落ちてきて、アシドーシスを補正するために治療を施しても、それが改善されず、全身状態が悪化していった。
 そこでA医師は、人工呼吸器により呼吸を補助するために再挿管をした。その後尿量が低下したため、利尿剤が使用されたが、改善されず、腎機能についてはクレアチニンが上昇した。腸管蠕動音も聴取できなくなった。しかし、筋性防御はなかった。このように腹部所見は乏しかったが、アシドーシスが改善されなかったため、A医師は、やはり上腸間膜動脈血栓症が最も疑われると判断し、同僚医師と相談の上、開腹手術を行うこととし、午後3時ないし4時ころ電話でB教授に連絡をとった。
 (16) BE値については、午後3時30分がマイナス14.4、午後5時15分がマイナス12.7であった。
 (17) 午後6時過ぎころ、B教授が被告病院に到着し、B教授及びA医師が原告らに開腹手術の説明をし、原告春子は、一旦は右手術の承諾書への署名を拒んだが、最終的には署名をした。
 (四) 開腹手術以後
 (1) 亡太郎は、平成3年2月24日午後7時20分ころ手術室に搬入され、小腸.大腸部分切除、胆のう摘出、人工肛門造設術(以下「本件開腹手術」という。)が行われた。午後7時40分麻酔開始、午後8時執刀開始、午後11時25分手術終了、同月25日午前零時麻酔終了、手術室搬出という経過であった。
 (2) 手術時所見では、腹腔内に腹水が多量にあり、広範な大腸の壊死が認められ、特に下行結腸からS状結腸にかけての部分の壊死が最も高度であった。小腸は、末端から20cmの部分から2.3mにわたり壊死が散在していた。胆のうについても壊死があり、胆のう穿孔による汎発性腹膜炎が認められた。結局、肝臓、大腸、小腸、全ての腹内臓器に虚血の所見があった。
 (3) 広範な大腸の壊死部は切除され、横行結腸の健常部分も腸の色としてはきれいなものではなかったため、S状結腸とつなぐことはできず、人工肛門とされた。虚血が散在しているとの所見のあった小腸の2.3mにわたる部分も切除された。胆のうも摘出された。
 (4) その後、A医師らは、引き続き集中管理体制で治療に当たったが、亡太郎は、意識が回復することもなく、急性腎不全、急性心不全を来し、同月25日午後零時55分死亡した。

 二 争点
 1 亡太郎の本件バイパス手術への適応の有無
 2 A医師の本件バイパス手術に関する説明義務違反の有無
 3 A医師の本件バイパス手術後の管理についての過失の有無
 4 因果関係(救命可能性)の有無
 5 損害

 三 原告らの主張
 1 手術の適応判断を誤った過失
 A医師は、もともと本件バイパス手術前の検査の結果、亡太郎の腸管膜動脈の動脈硬化を発見していたのであるから、腸間膜動脈閉塞症、腸間膜動脈血栓症又はその他の何らかの原因による小腸、大腸への血行障害による壊死が起こることを考慮して、同手術を回避すべきであったのに、これを実施した過失がある。
 2 説明義務違反
 冠状動脈バイパス手術は、非常に危険な手術であるため、医師は本件バイパス手術を実施するに当たっては、患者に対して同手術の内容、必要性とともに危険性についても十分説明したうえで、患者側の同意を得なければならず、十分な説明に基づかない同意は、有効な承諾とはいえない。
 特に、本件バイパス手術に際しては、A医師は、術前に亡太郎の腸間膜動脈の動脈硬化を発見確認していたのであるから、動脈硬化を基因とする合併症が発生する危険性について十分説明すべきであったのにこれをしなかった。
 したがって、A医師には、事前に十分な説明をせずに本件バイパス手術を実施した過失がある。
 3 本件バイパス手術後の管理を誤った過失
 (1) A医師は、平成3年2月24日午前零時には開腹手術をすべきであった。
 腹痛の程度、鎮痛剤の効果がなく、急性腹症を呈していたと認められたこと、代謝性アシドーシスが認められたこと等にかんがみれば、A医師は、右時点において、絞扼性(複雑性)イレウスによる腸管壊死を予見すべきであった。
 問診、身体所見及び一般臨床検査だけでは診断がつかない場合には、腹部単純X線検査、腹部超音波検査、腹部CT検査、血管造影換査等の検査を行って鑑別を進め、緊急手術を要するか否かを速やかに判断しなければならなかった。
 しかるに、A医師は、問診、身体所見及び一般臨床検査を行うのみで、右検査等自体も十分になされたか疑問であり、右検査等により原因疾患の鑑別ができず、緊急手術の要否の判断もできなかったのであり、また、一般臨床検査の結果、白血球数の増加により感染、炎症、組織壊死等が疑われ、尿素窒素、クレアチニンの値が腎機能障害をうかがわせ、BE値が代謝性アシドーシスを示していたことに照らせば、腹腔内で腸管壊死等の極めて重大な状況が発生している蓋然性が高いことが予見されたというべきであるから、腹部単純X線検査等のさらに進んだ検査を行うべきであった。
 もし腹部単純X線検査を行っていれば、腸間膜動脈閉塞症の典型所見を認めることができた蓋然性が高く、その結果即座に緊急開腹手術の必要性が判断できたはずであり、そうでなくとも、さらに診断を確実にするため腹部超音波検査、MRI、腹部CT検査、特に血管造影検査を行うことによって確定診断ができたはずであり、その結果やはり緊急開腹手術の必要性が判断できたはずである。
 (2) 同日午前4時ころには、さらに容体の悪化が進行し、特にBE値が極めて高度な代謝性アシドーシスを示し、腹部内の腸管壊死の蓋然性が高まったのであるから、A医師は、腹部単純X線検査等の検査をするまでもなく、緊急開腹手術を行わなければならなかったし、少なくとも腹部単純X線検査等の検査をした上で緊急開腹手術の要否を判断すべきであった。
 したがって、腹部単純X線検査すらしなかったA医師には過夫がある。
 (3) [A医師は、同日午前7時30分過ぎには開腹手術をすべきであった。激しい腹痛の持続、鎮痛剤投与による効果のないこと、ショック状態に陥ったといえること、代謝性アシドーシスが改善されなかったこと、血液検査により白血球数が異常に多く、全身状態が重篤な状態にあったこと等にかんがみれば、遅くとも右時点までには絞扼性(複雑性)イレウスを予見し、即座に開腹手術をすべきであった。
 A医師は、確定判断に限りなく近い程度に腸間膜動脈血桧症と判断していたにもかかわらず、いたずらに経過観察を行い、開腹手術を後回しにして手遅れとなった。
 開腹手術どころか腹部単純X線検査さえしなかったA医師には過失がある。
 (4) 同日午前8時ころの腹部単純X線検査により明らかなイレウス像が認められたこと等から、A医師は遅くともこの時点で開腹手術に踏み切るべきであった。仮に開腹する決断ができなかったとしても、少なくとも血管造影検査程度はして診断を進めることにより、時機を逸しないよう努力すべきであった。これを怠ったA医師には過失がある。
 (5) 亡太郎の腸管壊死は、非閉塞性腸管阻血によって生じたものではなく、閉塞性腸管阻血により生じたものというべきであるが、急性腹症の症状が出て腸管阻血壊死を疑う検査所見や症状が現れたような場合は、一般的な閉塞性腸管阻血壊死を疑ってそれに見合うだけの治療をすべきものであり、閉塞性腸管壊死か非閉塞性腸管壊死かの確定診断をしたければ、腸管壊死に対する治療をしないでよいというものではない。腸管阻血壊死は、時を置かず開腹し壊死部分を切除しなければ生命に危険を及ぼすことになるから、直ちに開腹手術をする必要がある。
 なお、原告らがA医師による開腹手術申出に対し、拒否反応を示したことはない。
 4 因果関係(救命可能性)
 早期の開腹手術が行われていれば、亡太郎の術後の心臓の調子は極めて良く、腸間膜動脈閉塞症の死亡率が20ないし30%とされていること、下腸間膜動脈閉塞症は、上腸間膜動脈閉塞症に比して緩やかに壊死が進行すること、腸間膜動脈閉塞症は、壊死病変開始から12ないし18時間以内に血行再建術を行えば救命しうると考えられること、腸管の阻血では24時間が不可逆性の変化を起こす限度といえること等からすれば、亡太郎を救命しえた可能性は極めて高く、A医師の過失と亡太郎の死亡との間に因果関係がある。
 5 損害
 (1) 逸失利益 5527万7900円(略)
 (2) 慰謝料 3000万円(略)
 (3) 葬儀費用 120万円(略)
 (4) 弁護士費用 864万7790円(略)
 (5) 合計 9512万5690円

 四 被告らの主張
 1 本件バイパス手術の適応について
 (1) 亡太郎には、心筋梗塞の既往症があり、前下行枝を含む冠状動脈の二枝障害があり、予備力の少ない二枝障害であったため、本件バイパス手術の適応はあった。
 なお、亡太郎については、内科的治療のうちの内服治療のみでは発作による急死の危険性が高いと判断された。
 また、風船治療(PTCA、経皮的冠状動脈形成術)についても考慮したが、亡太郎には多発性に病変(狭窄)が存在し、特に左冠状動脈前下行枝の狭窄は、主幹部(左冠状動脈の付け根の部分)に近く、石灰化も伴っていたことから、風船治療により急性冠状動脈閉塞や冠状動脈解離を来す危険性が高かったため、極めて困難で危険が伴うと判断された。
 よって、冠状動脈バイパス手術以外に、患者が急死の危険無しに社会生活を送り得る治療法はないと判断したものである。
 (2) 心臓手術時の合併症の危険性を検討するため、本件バイパス手術前に脳CTと脳MRIを撮影し、頸動脈の血管造影も行ったが、手術に支障を来すような病変はなく、問題はなかった。
 また、腹部から大動脈にかけての血管造影を行ったが、これは合併症の危険性の判断のためではなく、万一の心不全に備えてIABP(大腿動脈から挿入する補助心臓装置)が使用可能かどうかを判断するために腹部大動脈本幹を見るためのものであって、腹部大動脈分枝末梢の評価は困難であった。右血管造影により腸骨動脈と腹部大動脈に動脈硬化によると思われる動脈壁の不整を認めたが、手術に支障となるような所見はなかった。腸間膜動脈の動脈硬化は認められなかった。
 なお、既往症により消化管出血の危険が危惧されたため、平成3年2月13日に胃透視にて病変の程度を評価した。この結果、手術に支障はないものの、バイパスの材料として胃の動脈を用いることに控え、術中、術後に予防的に抗潰瘍剤を投与する方針とした。
 2 説明義務について
 (1) A医師は、亡太郎の入院以後、本人に検査結果を供覧しながら手術の必要性及び危険性を繰り返し説明した。手術前の最終の説明にも本人の同席を求めたが、説明を聞くと不安になるとの理由で同席を拒否したので、平成3年2月20日の午後約1時間をかけて、原告らを含む3名に対し、冠状動脈造影のフィルムを用いながら手術の説明を行った。心臓の状態が重症で手術以外に治療は困難であることと共に、全身麻酔に伴う合併症、人工心肺を用いる体外循環に伴う合併症、心不全、不整脈、出血、感染及び動脈硬化の内膜損傷による塞栓症の危険性について説明した。さらに、術前の諸検査で特記すべき臓器障害もなく、全身状態も良好なため、通常の手術の危険性である5%前後より低い2ないし3%の危険性であろうと説明した。
 なお、腸管壊死の危険性については言及していないが、これは極めて稀な合併症であるためであり、このような極めて稀な合併症についてまで説明しなければならない義務はない。
 (2) このように、本件バイパス手術前の説明は十分に行われており、これに基づいて有効な承諾がなされた。
 3 本件バイパス手術後の管理について
 (1) 本件バイパス手術後、主治医を含む医師スタッフは、24時間体制で観察を行い、看護体制も専属の看護婦が担当し、ICUにおいて絶えず集中管理を行っていた。開腹手術その他の処置が遅すぎたということはない。
 (2) 腹痛については、心臓術後の特殊な管理状態における患者の不安な心理状態は計り知れないものであり、不定愁訴は異常なことではない。
 (3) 心臓術後急性期において、不確実な診断で全身麻酔下に開腹手術を行うことは危険である。保存的治療をより強力に行い、経過を見るというA医師らが行った処置は妥当な判断であった。
 本件の壊死は非閉塞性のものであるところ、心臓血管術後の非閉塞性腸管壊死という合併症は、極めて稀であり、未だ発生機序は不明な点が多く、発生の予測、早期診断は困難である。
 (4) ヘパリンの影響下にある開心術後において、血栓症の発生を予見することは困難であった。
 本件では、側副血行路が豊富な下腸間膜動脈領域の虚血が最も強く、血栓形成の可能性が低い術後急性期での発症のため、腸管壊死の原因としては、血栓以外に動脈のスパスム痙攣の関与も考えられ、壊死の進行の速さや原因も不定である。
 (5) 術後急性期での白血球数増多は、むしろ正常の生体反応であることが多く、白血球数1万5110及び1万4800の値は、術後急性期には通常よく見られる範囲の数字である。
 基礎に動脈硬化病変を併せ持つことが多い虚血性心疾患においては、術後に一過性に軽度腎機能が低下し、尿素窒素27、クレアチニン1.9程度の上昇をみることは稀ではなく、この値も即座に尋常でない事態を示唆するものではない。
 (6) 内血管造影については、主要分岐(特に上腸間膜動脈)の本幹部の完全閉塞でなければ血管造影により診断をつけることは困難であり、腸管虚血の疑いが未だ明確でない状況での血管造影はむしろ腎不全を惹起するおそれもあり、本件のように軽度の腎機能の低下を認めつつある時期に血管造影を行うことは危険である。
 (7) A医師は、平成3年2月24日朝、腸管虚血、壊死を疑い、原告らに試験開腹手術の説明をしたが、原告らから試験開腹手術に対する同意は得られず、試験開腹手術における処置自体が致命的な事態を招く危険性があり、診断自体も不確定であったため、試験開腹手術を強行することは躊躇せざるを得なかった。
 A医師は、感情的となった原告らに対し、もはや自分の説明のみでは説得不可能と判断し、相談の上、再度説得し、予期せぬ極めて稀な合併症に対する的確な判断、治療の応援を依頼するために、B教授らと連絡を取った。
 人工心肺を用いた心臓術後急性期であり、血栓ができにくい状況であり、疑われた病態が血栓を原因とすることが多い腸管壊死であり、安易に全身麻酔下の試験開腹を選択すれば、病状の悪化を招く恐れがあり、慎重に決定すべきであった。

第3 当裁判所の判断
 一 本件バイパス手術の適応について
 1 前記争いのない事実等のとおり、平成3年1月30日実施の冠状動脈造影検査の結果、右冠状動脈に4か所の90%の狭窄が認められ、左冠状動脈前下行枝にも75ないし90%の狭窄が認められ、また、同年2月2日負荷心筋シンチグラフィー施行の結果、左室後下壁に部分的な心筋梗塞があると診断され、同月4日施行のトレッドミルテストにおいても運動負荷による心筋虚血の徴候が認められた。
 2 証拠(略)によれば次の事実が認められる。
 (1) 平成3年1月29日心エコーが行われ、これによれば、陳旧性心筋梗塞、古い心筋梗塞の所見と思われる一部心臓の壁の運動が落ちているところが認められた。
 (2) A医師は、本件バイパス手術前、亡太郎が入院以前からニトログリセリンを服用しており、狭心症の発作が頻発していたことから、内服治療のみでは発作による急死の危険性が高いと判断した。
 (3) 本件バイパス手術前、被告病院の内科医は、風船治療について、亡太郎には右冠状動脈に数か所の狭窄があり、その狭窄部分を1つ1つ拡げていくことは非常に困難であり、また、左前下行枝、セグメント6番の左冠状動脈の主幹部に非常に近い部分に硬い石灰化病変を伴っており、風船治療は非常に危険であると判断した。
 (4) 同年2月4日、呼吸機能検査が行われ、呼吸機能は正常であると診断され、同月5日脳のCTの検査が行われ、その結果小さな脳梗塞を思わせるような像が認められ、脳のMRI検査を追加して行ったところ、やはり小さな脳梗塞があることが確認されたが、A医師は、本件バイパス手術には支障ないと判断した。
 (5) 同月7日、腎エコーが実施されたが、特別異常はなかった。
 (6) 同月9日、心プールシンチが実施され、その結果、一度心筋梗塞を起こした者としては比較的左心室の機能が保たれていると判断された。
 (7) 同月20日症例検討会が開かれ、その結果前下行枝、右冠状動脈、対角枝の3か所にバイパスをすることとなった。対角枝については、シネフィルムにより完全閉塞が認められたため、この部分についてもバイパス手術を行うこととした。A医師が本件バイパス手術以前に経験していた冠状動脈バイパス手術でのバイパス本数は、通常3ないし4本であった。
 (8) 本件バイパス手術前、腹部大動脈の血管造影が行われ、その結果、動脈硬化性病変が認められた。A医師は、右病変につき、非常に高度な動脈硬化性病変ではなく、冠状動脈バイパス手術の障害にはならないと判断した。なお、腹部大動脈分枝の造影は、検査に伴う危険性が高いと考えられ、行われなかった。
 3 右によれば、亡太郎においては、本件バイパス手術前、右冠状動脈に4か所の狭窄、左冠状動脈前下行枝に狭窄、対角枝に完全閉塞が認められ、内服治療の継続では急死の危険性が高く、風船治療も極めて困難であり、呼吸機能、脳の状態、腎機能、心臓の状態、腹部大動脈の状態等については、本件バイパス手術を行うに支障はなかったのであるから、本件バイパス手術の適応はあったというべきである。
 したがって、A医師に本件バイパス手術の適応についての判断を誤った過失があったということはできない。

 二 本件バイパス手術に際しての説明義務について
 1 説明義務の根拠について
 医師が医療行為を行う場合、患者の身体の侵襲を伴うため、患者自身のその侵襲に対する承諾を得ることが要請され、十分な情報に基づく有効な承諾を得るための前提として、医師に説明義務が発生する。また、人がその生き方を自ら決定する権利を行使するためには、自らの情報をコントロールすることが必要不可欠であり、特に病気に罹患した人の場合には、とりわけその必要性が高く、患者の知る権利及び生き方に対する自己決定権に寄与するためにも医師に説明義務が発生する。
 2 説明内容について
 (1) 前記のとおり、医師の説明義務は患者側の同意を得る前提として、また、患者の自己決定権に資するために存在するのであるから、医師が説明を行うべき場合、その説明意図、目的に照らして、患者が自己の自由意思に基づき内容について判断ないし自己決定できるために必要な範囲での説明が要請される。
 (2) A医師は、平成3年1月30日実施の冠状動脈造影検査の結果、右冠状動脈に4か所の狭窄、左冠状動脈前下行枝に狭窄が認められたこと等から、亡太郎に本件バイパス手術の必要性を説明し、右手術を受けるよう勧めたものである。また、平成3年2月20日、A医師は、亡太郎が説明を聞くと怖くなるとの理由で右説明を受けることを拒否したので、原告らに対し、心不全、出血.不整脈、肝.腎不全、中枢神経障害の危険性があるが、その危険性は3ないし4%であると説明したものである。
 3 右によれば、亡太郎は説明を受けることを拒んでいるが、以前にA医師が亡太郎に本件バイパス手術の必要性を説明していたこと、A医師は、原告らに対しては、本件バイパス手術の危険性を説明したこと等にかんがみれば、A医師は亡太郎に対する本件バイパス手術に関する説明義務を免除されたというべきであり、A医師に説明義務違反があったということはできない。

 三 腸管壊死の原因について
 1 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
 (1) 急性腹症とは、急激に発症する腹痛を主訴とする腹部疾患で、緊急手術を要するか否かを速やかに判断しなければならない急性腹部症候群と定義される。しかし、広義には消化管出血や急性閉塞性黄疸をも含め、急激に生じた腹痛、吐・下血、黄疽を主訴とし、早急に適切な治療方針を決定しなければならない腹部急性疾患とされている。
 (2) イレウスは、腸閉塞症といわれ、その原因に腸管内腔を閉塞する器質的なものがある場合と、腸管を支配している血管、神経の障害による運動障害の2つに分類される。前者は機械的イレウス(単純性、絞拒性)、後者は機能的イレウス(麻痺性、痙攣性)と呼ばれている。
 麻痺性イレウスは、腹膜炎によるものが圧倒的に多くみられるが、急性膵炎、腸間膜血管の血栓や閉塞等も原因に挙げられる。
 (3) 腸間膜血管閉塞症の発症の原因、病態生理、程度は様々である。主なものに腸間膜動脈の塞栓、血栓等による急性閉塞症、また、血管疾患由来の慢性閉塞がある。
 急性腸間膜動脈閉塞症は、動脈硬化のアテローム変性による血栓によることが多い。心疾患等による塞栓も一因となる。速やかに支配領域の腸管の血行障害を起こし、広い範囲の壊死に陥り、短時間のうちに重篤な症状を来す。また、特異的臨床症状がなく、激痛を説明する根拠がないので、早期診断は困難なことが多い。中心像である急激で激しい腹痛として発症し、急性腹症の形をとり、イレウス、さらにショック状態となる。発症直後の鎮痛薬、麻薬に反応しない腹痛と、腹壁は軟らかく膨満もみられず、臨床症状に比べ腹部所見に乏しいことが特徴である。

 腸管の阻血では、24時間が不可逆性の変化を起こす限度とされているが、閉塞の部位`範囲、側副血行、内容の有無等が腸管壊死の進行に関係するので決定的ではない。
 2 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
 (1) 本件開腹手術時、下行結腸及びS状結腸に壊死があった。
 (2) 下腸間膜動脈は、下行結腸及びS状結腸の支配動脈であり、上腸間膜動脈と比べて側副血行が豊富である。
 (3) 非閉塞性による臓器虚血は、長時間の体外循環時間を要した場合や、胸部大動脈の鉗子による遮断例、術後のショック発生例にみられるが、本件では、このような条件に該当するような事実は、本件バイパス手術直後にはみられなかった。
 (4) 本件開腹手術時、小腸は粘膜上皮に部分的に変性がみられ、うっ血炎症、浮腫を伴い、また粘膜下層の血管の拡張、充血をみるも、血栓の形成はみられなかった。大腸は、粘膜上皮はシャドウ化し、浮腫、円形細胞浸潤を伴う粘膜下層の大小の血管及び腸間膜内の血管は拡張し、充血、うっ血がみられた。また、散在性に器質化傾向を伴い、フィブリン付着を伴う血栓の形成が散在性にみられた。
 (5) 本件開腹手術時、緒方医師は、下腸間膜動脈に触れたところ、拍動がなく、下腸間膜動脈のうち、腹部大動脈からの付け根の部分辺りから血流がなく、血管が詰まっていると判断し、右部分から切除した。
 (6) 本件開腹手術の手術実施記録の病名欄及び「REPORT OF OPERATION」の術後診断の欄には、いずれも下腸間膜動脈血栓症である旨の記載がある。
 (7) 本件開腹手術後、アシドーシスは改善された。本件開腹手術により壊死部分を除去した後の健常部分に壊死は発生しなかった。
 (8) 開心術時に抗凝固剤を投与していたとしても、血管に血栓症、塞栓症が生じることはあり得る。
 (9) 胆のうが穿孔して胆汁が流れ出したのは、本件開腹手術の直前であった。
 3 右事実及び前記争いのない事実等によれば、本件バイパス手術後に下腸間膜動脈血栓症もしくは塞栓症が発生し、下行結腸及びS状結腸が壊死したものと考えられる。そして、右血栓症若しくは塞栓症が引き金となって、下腸間膜動脈と末梢側で交通している上腸間膜動脈や腹腔動脈の中枢側にその影響が波及し、それにつれて小腸、横行結腸、胆のう、肝臓への血流障害が生じたものであり、また、下行結腸及びS状結腸の壊死により、腹膜炎が発生し、炎症が腹部全体に波及し、全体の汎発性の腹膜炎となり、大腸、小腸、肝臓等全ての腹内臓器に虚血の状態が生じるに至ったものということができる。

 四 本件バイパス手術後の管理について
 1 証拠(略)によれば、次の事実が認められる。
 (一) 腸間膜動脈閉塞症が疑われる場合の医師の採るべき措置について
 (1) 急性腹症において腸間膜動脈閉塞症の可能性が考えられる場合には、まずその動脈造影の検査を行ってその所見を確認することが最も重要である。主要な動脈に閉塞や狭窄が認められる場合には、緊急的に開腹手術を行って閉塞部の対処として、血行再建術を図る必要がある。その他血栓溶解療法を併用し、さらなる再発を予防することも肝要となる。
 (2) 腸間膜動脈閉塞症の鑑別診断のためには、血管造影のほか、腹部レントゲン写真の撮影、CT、MRI等の画像診断が必須となる。また、血液一般検査を行い、アシドーシス、白血球数の増多等の所見も重要な参考資料となる。症状的には通常、激しい腹痛、下痢、さらには順次腹部膨満等が典型的な所見としてみられる。
 (3) 開腹手術を行う時期については、腹膜刺激症状が強く、血液検査でもそれに相応する所見が出現し、さらに腸管内のガス像が増強しており、イレウス状態になり、かつイレウスチューブの挿入、加療によっても症状の改善が得られないときが、そのメルクマールである。
 (4) 冠状動脈バイパス手術後という条件を加味した場合、右手術の際に体外循環という非生理的な補助循環下に心臓を一時的に停止させて手術を行うため、前記の他に種々の条件を加味する必要がある。
 本件バイパス手術においては、151分間の体外循環が行われた。この体外循環は、心臓を人工的に停止させて、この間心臓以外の他の臓器への循環を維持する重要な役割を果たしている。この際の循環血圧は、生理的ではなく、通常はかなり低い値になっている。
 (5) 本件バイパス手術後、心臓については問題がなかったため、血管造影検査をすることは可能であった。
 (6) 下腸間膜動脈は、上腸間膜動脈に比べて細く、かつ他動脈との交通があるので、腸管壊死に要する時間は、上腸間膜動脈の閉塞の場合に比べて長い。
 (二) イレウスの症状、診察方法等について
 イレウス(腸閉塞症)の場合、腹痛、嘔吐の他、腸管の蠕動障害により、ガス、大便の排出が時間の経過とともに停止する。腹部の所見としては、腸雑音の亢進や鼓腸が臨床症状としてみられる。また、炎症が普及すると、体温の上昇や白血球数の増多がみられる。さらに嘔吐が続くと、消化液の喪失により代謝性アルカローシスに傾くが、イレウスが進行しショック状態に移行するにつれてアシドーシスに傾く。しかし、腹部単純写真を経時的に観察し、腸内ガスの状態等を詳細に追跡すれば診断は容易となり、いつの時点で開腹手術をすべきかが明らかとなる。

 (三) 腸管壊死の鑑別、救命方法等について
 (1) 腹痛が常時存在し、これが増強するとともに、高度にアシドーシスが進行し、さらに腹部単純レントゲン写真でニボーの所見が広範囲にみられた時点になれば、腸管壊死の発症が高率に考えられる。
 これらの所見の初期の段階であれば、イレウスチューブを挿入したり、腸管の蠕動運動を促進する薬剤等で経過を観察するが、改善が得られなければ、腸管壊死への移行の可能性が大となる。
 (2) 腸管の壊死が判明した場合、緊急的に開腹手術を行って、壊死に陥った腸管をまず切除することが救命への第一歩である。この時点で、他の臓器の機能がある程度維持されている場合には、救命の可能性があるが、全体の機能が既に低ければ、部分的切除をしても全体の回復は困難である。
 2 右事実及び前記争いのない事実等によれば、亡太郎は、平成3年2月23日夕刻から腹痛を訴え、同月24日午前零時ころから腹痛の訴えが多くなり、同月23日の2回の血液検査によると白血球数がいずれも1万5000前後であり、尿素窒素、クレアチニンについても腎機能低下を疑わせる値が出ていたところ、同月24日午前零時のBE値がマイナス4.8であったのが、午前2時46分のBE値はマイナス11.3と高度の酸性を示すようになったのであり、A医師自身、同時点で急性腎不全、腸管壊死を考えたことにかんがみれば、A医師は、試験開腹手術、開腹手術の時則を逸しないこと等のためにも、右時点以後は、速やかに腹部単純X線検査、腹部超音波検査、腹部CT検査、血管造影検査、血液検査等の検査及びイレウスチューブ挿入等の措置を行うべきであったというべきである。また右各険査及び措置を行うことが可能であったと認められる。そして、同日午前4時30分には白血球数が1万7200であったこと、強度の腹痛を訴え続けていたため、午前5時には催眠作用のある抗不安薬セルシンが投与され、傾眠傾向となりながらもマスクやガーゼをはずす動作が繰り返され、強度の腰痛が持続していたこと、午前5時30分のBE値はマイナス16.6であり、その後制酸薬メイロンの投与にもかかわらず、BE値はマイナス15.2、マイナス16.0と高度の代謝性アシドーシスであることを示し続けていたこと、血圧が午前5時ころから下がり始め、午前7時には収縮時血圧が81まで低下したこと、午前7時30分の血液検査で白血球数1万6600、尿素窒素44、クレアチニン2.8、GOT及びGPTの値がいずれも1,000以上であったこと等に照らせば、A医師としては、遅くとも同日午前8時ころには開腹手術をすべきであったということができる。
 しかるに、同医師は、開腹手術を逡巡し、同日夕刻まで手術を遅らせたものであるから、同医師には過失があるというべきである。
 なお、A医師が平成3年2月24日朝、原告らに試験開腹を申し出たこと、これを原告らが拒否したことを認めるに足りる証拠はない。

 五 死亡との因果関係について
 1 訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号昭和50年10月24日第2小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。
 右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。
 2 本件バイパス手術後、下腸間膜動脈塞栓症により下行結腸、S状結腸に壊死が生じ、下腸間膜動脈と末梢側で交通している上腸間膜動脈、腹腔動脈の中枢側にその影響が波及し、それにつれて小腸、横行結腸、胆のう、肝臓への血流障害が生じ、下行結腸、S状結腸の壊死により腹膜炎が生し、全体の汎発性の腹膜炎となり、全ての腹内臓器に虚血の伏態が生じるに至ったという経過、腸管の阻血では24時間が不可逆性の変化を起こす限度とされているが、閉塞の部位.範囲、側副血行、内容の有無等が腸管壊死の進行に関係するので決定的ではないこと、本件においては、腹痛を訴え始めたのが平成3年2月23日夕刻以降であること、尿素窒素、クレアチニンの各値の変化の経過、BE値がマイナス10以下となったのが同月24日午前2時46分以降であったこと、上腸間膜動脈に比して下腸間膜動脈の方が側副血行が豊富であること、胆のうが穿孔して胆汁が流れ出したのは、本件開腹手術の直前であったこと等にかんがみれば、A医師が平成3年2月24日午前8時ころまでに亡太郎の開腹手術を施行したとすれば、下行結腸、S状結腸の壊死部分、下腸間膜動脈の閉塞が確認され、右壊死部分の切除、下腸間膜動脈の切除等の措置がなされたものと考えられる。もっとも、小腸等周辺臓器へ壊死が波及していた可能性も考え得るが、その場合でも、本件開腹手術時の腸管壊死の状況よりも軽度であったものと合理的に考えられる。そうすると、亡太郎が一命を取りとめた蓋然性は極めて高いというべきである。よって、A医師の前記過失と亡太郎の死亡との間には、相当因果関係が存在するものというべきである。
 六 損害
 1 逸失利益 2037万8960円(略)
 2 慰謝料 2000万円(略)
 3 葬儀費用 120万円(略)
 4 弁護士費用 400万円(略)
 5 原告らの相続
(以下略)

福岡地方裁判所第1民事部
 裁判長裁判官 乙山 寛
      裁判官 秋本昌彦
 裁判官金光健二は、転補につき、署名押印することができない。
 裁判長裁判官 乙山 寛